国分寺と法華寺の仏像
国分寺、国分尼寺の伝統を受け継ぐお寺
住所
稲沢市矢合町2490(国分寺)
稲沢市法花寺町77 (法華寺)
訪問日
2009年9月27日
この仏像の姿(外部リンク)
国分寺までの道
名鉄名古屋本線の国府宮駅より矢合(やわせ)観音前行き名鉄バスで終点下車。バスの本数は1時間に2本程度。
→ 名鉄バス
バスを降りると、すぐ東側に国分寺のお堂が見える。
拝観は事前予約が必要。志納
国分寺について
奈良時代に創建された国分寺だが、全国に残る国分寺のほとんどは途中絶え、のちに再興されたものである。この尾張の国分寺もおそらくは平安時代に衰退し、のちに再興された国分寺はかろうじて近代まで命脈を保った。
一方13世紀後半頃、近くに臨済宗・円興寺が開かれた。この円興寺が19世紀末、国分寺を吸収、合併したのだが、寺号としては、伝統ある国分寺の名前を継ぐことにしたらしい。
収蔵庫に安置されている5躰の彫刻は、もともと円興寺に伝来した像であると思われる。
拝観の環境
門を入ってすぐ左に収蔵庫があり、鎌倉時代〜南北朝時代の仏像、肖像彫刻5躰が安置されている。
収蔵庫には外からの明かりがよく入り、また、間近でよく拝観できる。
仏像の印象
収蔵庫には5躰の彫刻が横1列にずらりと並び、壮観である。いずれも玉眼を用いていて、インパクトがある。
中央は像高約1メートルの釈迦如来坐像で、まげを結い宝冠をつけた、いわゆる宝冠釈迦像である。中世再興の国分寺釈迦堂本尊と伝える。ヒノキの寄木造。
まだらに漆箔が残り、やや表情が分かりにくいが、しばらく見ていると頬が張って若々しい表情であることがわかる。衣の襞(ひだ)は自在で、写実性と宋風の装飾性がよくミックスした鎌倉彫刻のひとつの到達点のように思う。光背、台座も立派である。
その向って右側にも宝冠釈迦像が座る。像高は約60センチで、中央の釈迦像より2回りほど小さいが、こちらの方がまとまりがよい像という印象である。眉目秀麗で、すっきりした理知的な顔だち。一方、胸はやや平板である。腹にひもの結び目を見せる。
中央の釈迦像の向って右側には口をへの字に結んだ写実的な頂相彫刻(円興寺を開いた覚山和尚の像と伝える)、さらに一番外側左右には伝熱田宮司夫妻と伝えられる肖像彫刻が安置されている。
国分寺から法華寺へ
法華寺は国分寺から西北に徒歩15分くらい。国分尼寺の後裔という。
16世紀に禅宗寺院として再興され、以後僧寺となり、近世には国鎮寺あるいは谷椿寺と称したが、近代になって法華寺と改めた。
住宅街の中のこじんまりしたお寺で、本堂の中央に半丈六の薬師如来坐像が安置されている。
拝観は事前予約が必要。志納。
法華寺の薬師如来像
定朝の様式をよく受け継いだ仏像で、衣は流麗に流れる。斜め下から見上げた姿は大変美しい。
上背があり、逆に膝は低い。右膝横などは省略が著しく、肉髻は非常に高い。中央の様式に地方的造像の要素が加わっている像のように思う。
本堂内は明るく、また側面からもよく拝観できる。
さらに知りたい時は…
『愛知県史 別編 文化財3 彫刻』、愛知県史編さん委員会、2013年
『新修稲沢市史 研究編2 美術工芸』、新修稲沢市史編纂会事務局、1979年