大願寺と大聖院の仏像
宮島の2古刹
住所
廿日市市宮島町3(大願寺)
廿日市市宮島町210(大聖院)
訪問日
2012年7月22日
この仏像の姿は(外部リンク)
大願寺について
JR宮島口駅か広電宮島口駅に近い宮島口フェリーターミナルよりフェリーに乗船する。所要時間は約10分。島の北西にある宮島フェリーターミナルに着く。
そこから南へ15分くらい歩くと、有名な厳島神社がある。その西側に大願寺はある。海に突き出るようにつくられている厳島神社の裏側を抜けるようにして進んでいくと、まもなく大願寺の山門前に出る。
近代以前、宮島も神仏混淆の宗教空間を形成していた。
大願寺は厳島神社との関係が強く、社の修造の際など重要な役割を担ってきたのだそうだ。しかし、近代初期の廃仏によって生木を裂くように神社と寺は切り離された。今は厳島神社によって管理されているお堂や塔にも、それ以前は多くの仏像が安置されていたのだが、それらは神仏分離によって大願寺へと移された。
船が宮島に近づくと、海上に設けられた大鳥居にまず目が行くが、その先に目をやると、丘の上に色鮮やかな五重塔、そしてその横には大きなお堂が建っている。このお堂は現在は豊国神社となっているが、古くは大経堂(千畳閣)といった。この大経堂や五重塔にもかつては仏像が安置されていたが、それらは今、大願寺本堂にまつられている。
大願寺の拝観
基本的にはお堂の外からの拝観となるが、事前にお願いしておくと、入堂しての拝観ができる。
志納。
手紙でお願いをさせていただいたところ、お電話でお返事が来て、拝観できることととなった。
大願寺の諸仏の印象
大願寺本堂は横に長いお堂で、中は5つの空間に仕切られている。
中央にまつられているのは、弁才天である。この像はもと厳島神社の祭神としてその本殿に安置されていたが、神仏分離の際にこの寺へと遷座したとのこと。秘仏で、毎年6月17日に開帳されるのだそうだ。
その向って左の間には、薬師如来坐像が、左右に不動、毘沙門天像を従えて安置されている。像高50センチほどの小さな像。寄木造(または割矧ぎ造)。
一見して定朝様の典雅な作風とわかる。小像ながら落ち着いた雰囲気で、どっしりと安定感ある座りっぷりである。
肉髻は大きく、上半身は高く、顔つきはあくまで穏やかである。
本尊厨子に向って右側の間には、釈迦三尊像が安置されている。この像がもと、厳島神社の大経堂(千畳閣)の本尊であった。
中尊は約85センチの坐像で、ほぼ等身大の像。寄木造ないし割矧ぎ造。
鎌倉時代の作で、玉眼がすがすがしい。顔つきは平明で、親しみを感じる。螺髪は小粒で、髪際は真っすぐである。
上半身は高く、逆に膝は低めにして、膝張りもそれほどではない。
脇侍は阿難、迦葉像で、ともに像高90センチ強の立像である。
阿難尊者は、左足を若干前に出す以外ほぼ姿勢よく直立し、厳しく口を閉じ、合掌する壮年の像。一方、迦葉尊者は、老相で、体を前に傾けて、必死に歩みを進める姿である。口を開き、歯を見せ、耳にはイヤリングをつけ、両手を前で握りしめる。ともに鎌倉彫刻らしい真に迫った造形である。
向って一番左側の間には、釈迦三尊像の小像が安置されるが、これがもと大経堂の脇に立つ五重塔の本尊という。また、向って一番右側の間に安置される薬師如来像は、もと多宝塔(厳島神社宝物館の裏手に建つ)の本尊ということだ。
大聖院の拝観について
大願寺の南側に厳島神社宝物館がある。その左側の道を南へ5分ほど行った高台に大聖院がある。
その境内は宮島の北部にそびえる弥山(みせん、標高535メートル)の北麓にあるが、さらに奥の院など、弥山の山頂にかけてこのお寺のお堂が点在する。宮島きっての大寺院ということができるだろう。宗派は真言宗で、京都の仁和寺との結びつきが強い。
このお寺もかつては厳島神社と深いかかわりをもち、本堂(観音堂)本尊の十一面観音立像はもと厳島の神々の本地仏としてまつられていたものという。本堂の拝観は自由。
境内の入口、仁王門をくぐると石段で、上りきったところにもうひとつ門(御成門)があるが、その石段の途中、左側に霊宝館(宝物館)がある。奥に平安時代中期ごろの不動明王坐像が安置されている。入口はガラス戸で、覗くことができるが、距離もかなりあるので、よくは見えない。事前に連絡し、中で拝観させていただけた。拝観料は500円。
*知人からの情報によると、現在は個人の霊宝館内拝観対応は難しいとのことです。(2016年)
不動明王像の印象
不動明王像は、像高約1メートルの坐像。ヒノキの一木造。
20世紀前半に仁和寺から移された像だそうだ。
目を大きく開き、上の歯で下唇を噛みしめ、髪は巻き毛としない。東寺の不動明王に代表されるいわゆる大師様の不動像である。東寺西院の秘仏・不動明王坐像にならってつくられている像と考えられている。
額には皺がくっきりと刻まれ、眉を上げて、強い忿怒の形相だが、前後に分けた髪をきれいに結って束ねる弁髪はなかなかおしゃれでもある。あごは小さめ。
胸から腹にかけては、いかにも一木造の量感を備える。膝の張りも強く、また手の構えも緊張感が感じられる。衣のひだは単純化されながらも、生き生きとした感じがある。
平安中期ごろのみごとな彫像である。
光背は、周辺部分は新しいが、中央部とそれを支える光脚の部分は当初のもの。彫出した文様はおもしろく、清凉寺の釈迦如来立像の光背と比べられるほどである。
その他
厳島神社宝物館では、同社の古神宝類が並ぶ。しかし、狛犬像など文化財指定されているものは残念ながら展示されていない。
さらに知りたい時は…
『仁和寺と御室派のみほとけ』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2018年
『仏像探訪 第3号 平家物語ゆかりの名刹を訪ねる』、枻出版社、2011年
『清凉寺釈迦如来像』(『日本の美術』513)、奥健夫、至文堂、2009年
「平安時代中期における光背意匠の転換」(『美術史』152)、皿田舞、2002年3月
「十世紀後半彫刻史と康尚」(『日本美術全集6 平等院と定朝』、講談社、1994年)、伊東史朗
『月刊文化財』358、1993年7月
『国宝重要文化財仏教美術 中国』3、奈良国立博物館編、1977年