達谷窟毘沙門堂

  岩屋のお堂に安置された多数の毘沙門像

住所

平泉町平泉北沢16

 

 

訪問日 

2013年8月30日

 

 

 

拝観までの道

達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂は、平泉駅から岩手県交通バス平泉達谷線で「達谷窟」下車、すぐ。

バスは1時間に1~2本、乗車時間は約10分(冬期は運休)。

 

ひらいずみ・交通支援システム

 

 

拝観料

500円

 

 

お寺や仏像のいわれなど

鎌倉幕府の正式記録である『吾妻鏡』に、達谷窟は蝦夷の首領が砦を築いた跡で、坂上田村麻呂が窟の前に西光寺(せいこうじ)を建て、京都の鞍馬寺にならって108躰の毘沙門天像を安置したとある。

 

かつて隆盛を誇ったこの寺院も室町時代に焼け、江戸時代には東北の大名・伊達氏の外護のもとで栄えたものの、20世紀半ばにふたたび火災にあうといった具合に、盛衰を繰り返した。

現在の毘沙門堂は1961年の再建。天台宗の西光寺の一堂となっているが、入口に鳥居があるなど、神仏混淆の風を色濃く残している。

度重なる罹災で古記録類は伝わらないが、本尊の毘沙門三尊像はそのたびに救い出され、秘仏としてお堂中央の厨子中に安置される(『吾妻鏡』の記事によれば、鞍馬寺の毘沙門天を模した像という。左手で宝塔を掲げ、右手は腰に当てた姿をしている)。

 

達谷窟毘沙門堂ホームページ

 

 

拝観の環境

境内は拝観順路が示されており、毘沙門堂、岩面大仏、弁天堂、不動堂、金堂の順にまわる。

毘沙門堂の堂内は暗く、また外陣からの拝観のために距離があるため、安置された各像の姿はつぶさにはわからないのは残念である。

 

 

仏像の印象(毘沙門堂、不動堂)

毘沙門堂は窟を奥壁、天井として、そこに入れ籠むようにしてつくられている。内陣の中央に本尊厨子、その左右に毘沙門天像が20躰ほど安置されている。

像高は各60センチほど。右手に戟を持ち、左手で宝塔をかかげる姿であるが、それぞれ雰囲気は異なっているようである。それほど古い像はなく、中世の後半以後の作と思われる。あるいは、長い期間にわたって寄進されてきた像たちなのかもしれない。

同一の寺院、あるいはお堂に同じ尊像が複数置かれるというのは相応の理由があってのことと思うが、毘沙門天像ばかりを群像として安置しているのは、岡山・安養寺などの例があるものの、たいへん珍しいことである。

 

毘沙門堂に向かって右手、少し高くなったところにある不動堂は、3間の比較的小さなお堂。丈六の不動明王坐像をまつっている。扉口からの拝観。ライトもあり、お堂は小さく像は大きいので、拝観位置から像までの距離が近く、比較的よく拝観できる。

像高約280センチの坐像で、カツラの寄木造、平安時代の作と思われる。両目を見開き、上の歯で下唇をかむ、大師様の姿をしている。

全身に傷みが進み、補修箇所も多い。太い首、大きな手、左右にしっかりと張った脚部など、素朴で親しみを感じる仏像である。

 

岩面大仏について

岩面大仏は、毘沙門堂の西側の壁面に彫られた仏面で、大きな鼻、厚い唇など素朴な雰囲気のある像である。江戸時代の史料に大日如来と述べられるが、崖の下に残る碑に阿弥陀の種子が彫られていることから、阿弥陀如来であるのかもしれない。

顔だけで3メートルもあり、10メートルの坐像、つまり大仏級の大きさとなるが、体は19世紀末に崩落してしまったのだという。よく見ると肩の線が見える。北限の大磨崖仏として貴重なものであるが、今残る部分も保存に不安があるとのこと。

 

 

その他(弁才天像について)

毘沙門堂の前の池の祠には八臂の弁才天像がまつられている。昔から「生けるが如し」といわれてきた美しい像である。お堂周辺が発掘調査中ということで、私が訪れたときには毘沙門堂の脇の間に移坐されていて、拝観することができた。

 

 

さらに知りたい時は…

『中尊寺・毛越寺』(『古寺巡礼』6)、田中昭三、JTBキャンブックス、2004年

『いわて未来への遺産 古代・中世を歩く』、岩手日報社出版部、2001年

「謎を秘めた仏たち15 達谷窟」(『目の眼』247)、川尻祐治、1997年4月

『あづまみちのくの古仏』、吉村貞司、六興出版、1978年

 

 

仏像探訪記/岩手県