立花毘沙門堂の諸像
幻の古代寺院の流れを汲む仏像
住所
北上市立花
訪問日
2009年6月6日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
立花毘沙門堂(万福寺)は北上駅東口(新幹線口)から徒歩約25分。方角としては駅のほぼ真東だが、駅の北東にある珊瑚橋で北上川を渡り、今度は南東へと進む。
その他の行き方としては、駅前に常駐するタクシー。
バスは、駅西口から江刺バスセンター方面行きの岩手県交通バスで「毘沙門前」下車。ただし、本数は少ない。
仏像は収蔵庫の中に納められていて、拝観は事前予約必要(問い合わせは北上市教育委員会文化財課へ)。
拝観料
志納
お堂のいわれ
立花毘沙門堂の南側に国見山という山がある。北上山系の西の端に位置し、標高こそ200メートル級と高くはないが、その名の通り国を見渡せるようなすぐれた眺望の地で、かつてこの山およびその周囲には大寺院があった。国見山廃寺と呼ばれて、多数の堂塔のあとが発掘されている。六国史のひとつである『文徳実録』に857年に陸奥国の極楽寺を定額寺(いわば準官寺)とするという記事が見えるが、国見山廃寺はこの極楽寺なのではないかといわれている。
立花毘沙門堂は、集落のなかにぽつんとお堂と収蔵庫があるだけの小寺院であるが、かつての大寺院・国見山廃寺の北の坊の流れをくんでいるのではないかと考えられている。
ところで、東北地方は神仏混淆の名残りが強い地域である。このお堂も鳥居が立ち、収蔵庫の入口にはしめ縄がついている。また、仏像を拝む時にもかしわ手を打つという。
拝観の環境
収蔵庫の中は外に光が入って明るく、間近からよく拝観できる。
仏像の印象
収蔵庫には5体の仏像が納められている。本尊は毘沙門天像。その左右に二天像、そして小像の毘沙門天像と童子像である。
本尊の毘沙門天像は、この地方でよくみられる兜跋毘沙門天ではなく、邪鬼を踏まえる通行の姿で、像高は約1メートル。クスの一木造。
なかなか面白い像である。落ち着きと破調、素朴と洗練が同居する。
顔は、目を大きく見開き、眉を上げ、口をきりりと結ぶ。頬も引き締まり、なかなか迫力がある。兜をつけるが、これはどことなく頭巾のようである。
腕のポーズは大人しい。長い下半身は向って右側へと体を傾けているが、この傾け方が少々誇張気味である。もう少し傾ければ無理があり、もう少し傾けなければ無難となって、その間をいく。
鎧とその下に見える衣はおとなしい感じだが、なかなか丁寧なつくり。
下半身には鉈彫りの横縞が見えるが、その線は浅く、目立たない。
二天像は像高が150〜160センチで、本尊の毘沙門天像に比べて大きく、また動きも派手やかで、実際よりも大きさを感じさせる像である。カツラの寄木造(もしくは割矧ぎ造)。
目を大きく開け、髻を結い、邪鬼を踏まえる。口は向って右の像(持国天)は閉じ、左の像(増長天)は開く。また持国天は左手を挙げて、腰を左にひねり、増長天は右手を挙げて腰を右にひねる。よくバランスがとれた二天像である。
鎧やその下に見える衣のひるがえりは細かいところまで神経が行き届き、すぐれた作ゆきである。下半身は前から以上に側面からは重量感がある。全体的に洗練されているが顔だけは野人の風貌である。特に増長天像は誇張したポーズで、上半身を大きく傾け、腰をしっかりとひねって、舞を舞うが如き姿勢である。
その他
この増長天像について、松浦正昭氏は、腰を強くひねり腕を高々と挙げる姿に法隆寺三経院多聞天像や東大寺の多聞天像(旧内山永久寺)との共通点を見て、多聞天像としてあつかっている。
さらに知りたい時は…
『芸術新潮』(特集「奥州平泉とみちのくの仏たち」)、2011年10月
『平泉 みちのくの浄土』(展覧会図録)、NHK仙台放送局ほか、2008年
『「平泉」伝承の諸仏』、中尊寺発行、2008年
『いわて未来への遺産 古代・中世を歩く』、岩手日報社出版部、2001年
『中尊寺を中心とする奥州藤原文化圏の美術工芸品に関する総合的調査研究』、有賀祥隆ほか、1999年
『図説 みちのく古仏紀行』、大矢邦宣、河出書房新社、1999年
『毘沙門天像』(『日本の美術』315)、松浦正昭、至文堂、1992年8月
『きたかみの古仏(北上川流域の自然と文化シリーズ13)』、北上市立博物館、1991年
『国見山極楽寺(北上川流域の自然と文化シリーズ8)』、北上市立博物館、1986年