月舘大師堂の石造僧形坐像
堂々と座る丸彫りの石像
住所
平泉町長島月舘
訪問日
2021年10月3日
拝観までの道
中尊寺とは逆の北上川東岸にある。
駅からやや遠いので、平泉駅前で電動レンタサイクルを借りて向かうとよい。こぐスピードにもよるが、30分くらい。
駅前を右折し県道に入り北へ。この道は旧国道で、奥州街道または陸羽街道ともいうらしい。中尊寺の参道入口を過ぎ、北上川支流の衣川を渡り、国道(平泉バイパス)を越えると奥州市に入る。「牛の博物館」の看板も見えている。
さらに進んで東北本線を越え、箱石橋という橋で北上川本流を渡ると、再び平泉町に入る。突き当たったら右折。左手にバス停「陸中箱石」(東磐交通バス)があり、その向かいのこんもりとした林の中に小さな建物がある。
拝観料
自由
お寺や仏像のいわれなど
像は林の中に南面して座る。三輪神社が管理しているということだが、南側に立つ鳥居ほほかには神社の境内であることを示すものはない。
地元では知られた存在であったのだろうが、近年の調査で重要性が再認識され、2016年に町の文化財に指定された。指定名称はカタカナでオダイシサマとなっている。
拝観の環境
大師堂といっても、手前に拝殿があり、その奥に石像が一体あるだけである。像の上には覆堂がつけられているが、これは2015年に管理している三輪神社と地元の有志によってつくられたものという。
すぐ近くから、また側面や背面からもよく拝観できる。
像の印象
像高はおよそ1メートル。堂々たる丸彫りの僧形像である。像名不詳だが、古くから天台大師あるいは伝教大師、または聖徳太子の像とされ、さらに疱瘡神としてまつられて、顔を削って煎じて飲むとよいと信じられていたそうだ。今も毎月例祭を行っているという。
つくられたのは12世紀、奥州藤原氏初代の清衡のころとされる。
全体に摩滅が進んでいて、細部ははっきりしないが、丸みを帯びた量感豊かな姿をしている。頭部は頭巾をかぶり、それを肩へと垂らしている。胸を見せて袈裟をつけ、手はお腹の前で組んで、何かをもっているようだ。四角い台座の上にのり、さらにその下には基壇がつくられている。
その他
奥州藤原氏の時代の石仏としては、このほかに毛越寺の東隣にある観自在王院跡の池の北側に置かれたオンドウ仏がある。
さらに知りたい時は…
『 中尊寺の仏教美術』(『 平泉の文化史』3)、 吉川弘文館、2021年
『広報ひらいずみ』705、2016年3月
「平泉の石造文化」(『兵たちの生活文化』、高志書院、2010年)、狭川真一
→ 仏像探訪記/岩手県