三熊野神社毘沙門堂の兜跋毘沙門天像と伝吉祥天像
迫力の毘沙門天と美しい吉祥天
住所
花巻市東和町北成島5-1
訪問日
2014年5月25日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
三熊野(みくまの)神社の毘沙門堂は、東和町北成島というところにある。なお、以前は字名から成島(なるしま)毘沙門堂とよばれていた。
かつては近くを通るバスがあったのだが、今はなく、不便になってしまった。
筆者は、花巻駅からレンタサイクルを使った。駅の南の「ヤマザキショップまるろく」(もともとお弁当屋さんらしい)でやっていて、かなり台数がある。アシスト付きも少ないがある。
途中アップダウンはあるが、とてもきついというほどではない。10キロくらいの行程で、50分から1時間くらいのサイクリングだった。
花巻市街の東側、朝日橋で北上川を渡り、県道284号を東南へ。西から猿ヶ石川を渡って(「毘沙門橋」という名前)来る県道39号に合流してまもなく左折。ここまで来ると毘沙門堂はもうすぐだが、最後の上り坂はきつい。
拝観料
500円
お寺や仏像のいわれなど
ここにはかつて成島寺(じょうとうじ)というお寺があったそうだが、近代初期に廃寺となり、鎮守の熊野神社(三熊野神社)と毘沙門堂が残った。
熊野神社の境内に入ると、右手に毘沙門堂がある。昔はここに仏像を安置していたらしいが、あの大きな兜跋毘沙門天像がよく納まっていたものだと思う。今は大きな鏡が置かれているというのも神仏習合の風を残していて、東北地方らしい。
その後ろに収蔵庫があるが、さらに後ろの丘に新しい収蔵庫がつくられ、毘沙門天像や伝吉祥天像はこちらに移されている。なお、旧収蔵庫には室町時代ごろの不動明王立像と多くの破損仏が保管されている。
拝観の環境
新しい収蔵庫は空間が大きくゆったりと展示され、照明も工夫されて、よく拝観できる。
兜跋毘沙門天像と伝吉祥天像の印象
中央に二鬼を従えた巨大な兜跋毘沙門天像、その向かって右奥に伝阿弥陀如来像、左奥に伝吉祥天像が安置されている。
兜跋毘沙門天像は地天女の上に立つ像で、本体だけでも3メートル半以上、全体の高さは4メートル半を優にこえる。見上げるほどの高さで、大迫力であるが、同時に安定感がある。顔は小さめに、腰は左にひねるが、腕や足の動きはそれほど大きくしないで、動作に誇張がなく、自然な立ち姿である。
表情はどことなくやんちゃな若者のようでもある。
素朴な冠をつけ、鎧の意匠もおおらか。小細工をせずに、像のもつ存在感でまっすぐに勝負しているような爽快さがある。
足下で支える地天女もさることながら、その左右に控える二鬼の表現がまたよい。腕を胸のところで交差させ、正座に近い足の組み方で座っているのは、毘沙門天への敬服の念をあらわすものであろうか。
伝吉祥天像は、像高約180センチの立像。ケヤキの一木造。
やさしい顔つきと、毘沙門天像との組み合わせという連想から吉祥天像と呼ばれてきたのだろうが、多くの手を持ち(現状では前に突き出した2本以外は失われているのだが)、頭上のふたこぶにわかれた髻のような部分が牙をもった象をかたどっていて、これは極めて特異である。本来の尊名はわからない。
肩幅を広くとり、胴は絞るが、腰は太くして、たくましい姿であり、ここに多くの手がつけば、相当な迫力をもった像であったのではないかとも思われる。
丸顔で目を細くし、鼻、口、顎を小さめにしていることで女性的な印象があるが、角度によっては凛々しい若者のようにも見え、魅力的である。
伝阿弥陀如来像について
伝阿弥陀如来像は像高約160センチの坐像。不自然なほど頭部が小さい。また螺髪をつけた頭部に対して、体は条帛をつけるなど菩薩形である。
頭部は後補で、以後阿弥陀如来像として伝えられてきたが、像内銘に十一面観音の真言が書かれていることから、十一面観音像としてつくられたものと考えられている。銘文には1098年を示すと思われる年も書かれていて、貴重である。
下半身を長く、また太くあらわして、力強い。ただし、衣の襞は浅く刻まれ、平安前期の風を残しつつ平安後期の作であることが見てとれる。ケヤキの割矧(わりは)ぎ造。
さらに知りたい時は…
「ほっとけない仏たち97 成島毘沙門堂の毘沙門天」(『目の眼』568)、青木淳、2024年1月
「国宝クラス仏をさがせ! 33 三熊野神社・毘沙門堂 兜跋毘沙門天立像」(『芸術新潮』885)、瀬谷貴之、2023年9月
『毘沙門天 北方鎮護のカミ』(展覧会図録)、奈良国立博物館ほか、2020年
『みちのくの仏像』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2015年
『平泉 みちのくの浄土』(展覧会図録)、NHK仙台放送局ほか、2008年
『図説 みちのく古仏紀行』、大矢邦宣、河出書房新社、1999年
『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 造像銘記篇』2、中央公論美術出版、1967年