薬王寺の薬師如来像
一木造から寄木造へ、過渡期の作例か
住所
可児市東帷子1649
訪問日
2017年8月8日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
名鉄広見線の西可児駅下車、南に徒歩約10分。
本堂は毎月8日に開扉されている。
事前に可児市教育委員会(文化財課)に問い合わせたところ、10時ごろより法要、11時ごろに終わるので拝観が可能となるが、あまり時間をおかずに閉じられるとのこと。
筆者は12時前に到着。檀家の方がいらして、拝観させていただくことができた。
拝観料
特に拝観料等の設定はなかった。
お寺や仏像のいわれなど
この地には古くからいくつかの寺院があっらしいがすべて絶え、仏像のみがかろうじて伝えられてきた。残念ながら、その詳細は不明。
江戸時代になり、残された仏像をまつるためのお堂の建立と仏像の修復が企図され、薬師堂がつくられた。大名など有力者の力によるものでなく、庶民の合力によるものであった。
やがて正式に寺院とする手続きがとられ、尾張の密蔵院の末寺として薬王寺となった。宗派は天台宗。
拝観の環境
堂内はライトもあり、近くよりよく拝観することができた。
仏像の印象
薬王寺本堂内は中央に本尊の薬師如来像、脇侍として日光、月光菩薩像、その斜め手前に二天像が置かれる。そして薬師三尊像の左右には釈迦如来坐像(向かって右)、阿弥陀如来坐像が安置されている。
中尊の薬師如来像は像高約270センチ。丈六を越える大きさである。一方釈迦如来と阿弥陀如来は約210センチの像高なので、小さめの丈六像(周丈六)といえる。
それにしても丈六の如来坐像が3躰並んでいるというのは壮観である。おそらくはかつてあった伽藍が大規模なもので、それぞれのお堂の本尊だったのだろう。ただし中尊は上半身が当初で、全体に後補部分が多い。阿弥陀如来像はおだやなか顔つきだが、この面相の部分と後頭部は平安時代の作(ただし薬師如来像よりは時期が下る)で、他の部分は江戸時代のものに替わっている。釈迦如来像は全体が江戸時代につくられたものと考えられていて、薬師像の脇侍の日光、月光菩薩像(像高約170センチの立像)も江戸時代の作である。
薬師如来像はほんとうに大きく、堂々としている。
顔は丸く、ほおが丸まるとしている。肉髻やその下の髪部が広くない。一方顔は大きく、目、鼻、口はそれぞれがかたまりのようである。
やや怒り肩。上半身も大きくたくましい。
脚部は左右に張って安定感を出す。上述のように下半身は江戸時代の後補なのだが、違和感なくついでいる。
これだけ大きな像だが、頭と体の中心部分は一木造でつくられている。樹種はトチということなので、近隣の巨木を用いたものなのであろう。
内ぐりの仕方がやや変わっているそうだ。まず背面からの内ぐりがある。そして体幹部材の左右からも内ぐりをしていて、この穴は左右につなげた別材へと続いている。体幹部こそ一材だが、大きく内ぐりをとった複数材を合わせ制作するというつくり方は珍しい。寄木造への第一歩であるのかもしれない。
その他(二天像について)
持国天像、増長天像は像高約170センチ。一木造。平安時代の像。
内側の手を挙げ、もう片方の手は腰に当てる。内側の足を若干あげる。左右相称で、動きが少ない。
さらに知りたい時は…
「美濃の仏像」(『国華』1438)、 清水眞澄、2015年8月
『薬王寺』、可児市教育委員会市史編纂室、2006年
『可児市史』1、可児市、2005年