東光寺の十一面観音像
7年に1度開帳
住所
八百津町八百津8329−1
訪問日
2009年9月27日
拝観までの道
八百津(やおつ)町は岐阜県中南部、木曽川沿いにある町で、古くは上流で伐採して流したヒノキをここで筏に組んだ場所であったそうだ。現在は八百津せんべいなどの特産品で知られる。
かつては名鉄広見線の明智駅から名鉄八百津線という鉄道が通っていたが、2001年に廃線となった。今はその代替バス(YAOバス)が運行している。このバスで「八百津本町」バス停で下車し、西北へ徒歩10から15分のところに東光寺はある(ほかに美濃太田駅からもバス便あり)。
本堂隣の観音堂の本尊十一面観音像は7年に一度開帳の秘仏である。前回の開帳は2002年9月下旬の土〜月の3日間で、2009年にも前回同様に3日間のご開帳が行われた。次回は2016年になる(10月1〜3日の予定)。
住職は兼務で普段無住、地元の皆さんの手作りの暖かい雰囲気のご開帳だった。
問い合わせ先は八百津町教育課生涯学習係。
拝観料
特に拝観料の設定はなかった。
お寺のいわれ
東光寺の歴史はよくわからない。鳥羽天皇の時代(12世紀)に建てられた天永寺、あるいは16世紀初に土岐氏によって開かれた天寧寺の流れを汲むともいうが、不詳である。
安土桃山時代から江戸時代に入るころには、近くの和知城の領主稲葉氏の保護を受けて栄えたらしいが、その稲葉氏が継嗣なく断絶して外護者を失い、また何度かの火災もあって荒廃したようだ。しかし、その度に古刹を廃絶させまいと地域の有力者や僧によって再興され、今日に至っている。
火災のために史料などは残らないが、平安時代の薬師三尊像、十一面観音像および近世の十二神将像が伝わっている。
拝観の環境
照明もつけられ、間近でよく拝観できる。
仏像の印象
観音堂本尊の秘仏の十一面観音像は、一木造、像高1メートル弱の立像である。
顔はやや大きく、はちきれんばかりの丸顔、目や眉の印象が強い像である。下半身は長く、下肢は細い。衣の襞(ひだ)は単純化されている。
顔はやや右を向き、下半身もわずかにひねりが入るが、これは彫った木の性質によるものだろうか。地方的な造像だが、それゆえの魅力をもつ像である。
本堂には平安時代の薬師三尊像と近世の十二神将像が安置されている。
薬師三尊像は寄木造、中尊は像高1メートル強の坐像、脇侍は120センチほどの立像である。穏やかな定朝様の仏像であるが、前代の名残りをとどめているからか、地方的造像の要素をもつゆえか、脇侍像はなかなか厚みがあって量感を感じる。
その他(正伝寺の仏像について)
東光寺から西に2キロ半ほどの場所、八百津町野上の正伝寺の十一面観音坐像(南北朝時代の像。足利尊氏寄進との所伝をもつ)も7年に一度のご開帳である。前回の開帳は2009年4月だったそうだ。
さらに知りたい時は…
『地方仏を歩く』3、丸山尚一、日本放送出版協会、2004年
『八百津町史 史料編』、八百津町史編纂委員会、1972年