安国寺の釈迦三尊像
南北朝時代の在銘像
住所
高山市国府町西門前474
訪問日
2009年4月19日
拝観までの道
最寄り駅は高山本線の飛騨国府駅だが、徒歩で50分くらいかかる。
バスは、高山バスセンター(高山駅前)から国府駅前を通り、見座公民館へ行く路線(濃飛バス上宝国府線)で「八日町」下車、徒歩15分くらい。ただし本数少なく、また土日は運休。
→ 濃飛バス
隣の飛騨古川駅前の宮川タクシーにはレンタサイクルがある。台数は少ないが、予約ができる。こぐ速度にもよるが、安国寺まで45分くらいか。最後は上り坂になるが、ほぼ平坦地で、天気がよければ快適なサイクリングができる。
飛騨古川駅からの道の途中、木曽垣内というところに国分尼寺を称するお堂がある。前面はガラスで、覗くと阿弥陀如来の坐像が見える。像高180センチ近い大きな像で、地元では大仏(おおぼとけ)と呼び、もと国分尼寺本尊だったと伝える。寄木造。ただしかなり損傷が激しく、修理されている部分も多いようだ。
安国寺は経蔵が有名である。室町前期の禅宗様建築で、国宝指定されている。中には当時中国からもたらされた版による一切経が納められていたそうで、現在もその一部が残っている。
仏像は本堂に釈迦三尊像が、開山堂には瑞巌(ずいがん)和尚像が安置され、特に予約なしで拝観できるが、経蔵については事前予約が必要。
拝観料
本堂の拝観は無料。経蔵は500円。
お寺のいわれ
安国寺は足利尊氏が全国に設置した寺院であるが、既存の寺院を転用したものが多かったらしい。この飛騨の安国寺も少林寺という前身寺院があったらしいが、不詳である。
飛騨国の安国寺は京都・南禅寺から派遣された瑞巌和尚のもと、南北朝時代の1347年に開かれたという。この瑞巌和尚の像が開山堂に安置されている。
拝観の環境
本堂の釈迦三尊像は近くで拝観させていただける。
仏像の印象
本尊は像内銘から1357年の作と知られ、開山と伝えられる年より若干後になるが、安国寺創立にあたっての本尊と考えられる。
中尊の釈迦如来像は像高60センチ余の坐像で、寄木造、玉眼。
顔、体は四角張った感じで、大粒な螺髪や衣文のつくりなど、いかにも南北朝ころの作である。像内銘には作者名として駿河法眼定範らの名前がある。定範は他の事績が知られないが、作風や構造から院派の仏師ではないかと思われる(院派系仏師の中には「定」の字を持つ者がいることが知られている)。
脇侍の文殊、普賢はそれぞれ獅子、象に乗る。
その他
開山堂の瑞巌和尚像は非常に変わったつくりで、頭と胸前の肉身部は木彫でつくり、玉眼を入れる。体は塑像でつくる。この時代、中国の影響で塑像による僧の肖像彫刻をつくることが行われるが、このように木彫と塑像を組み合わせるというのは他に例がないと思われる。
写真で見る限り、顔は写実的で、衣は塑という材質をうまく使った自由な造形であり、なかなか魅力的な像であるが、お堂の扉から覗いての拝観で、堂内は暗くまた距離もあるので、残念ながらあまりよく拝観できない(その後友人から寄せられた情報では、前もってお願いしたところ堂内で拝観させていただけたということ)。
瑞巌和尚は1350年にこの地で死去し、像にはその遺灰は混ぜられていると寺では伝えている。像内に銘があり、死後数十年たった1391年の作とわかる。
経蔵の中には釈迦三尊像の小像がまつられている。台座底面に銘文があり、16世紀初頭の再興像で、作者は京仏師の大輔真慶であるとわかる。脇侍は阿難、迦葉である。
さらに知りたい時は…
「岐阜・安国寺の彫刻と歴史」(『上原和博士古稀記念美術史論集』)、清水眞澄、1995年
『岐阜市史 史料編 古代・中世』(二)、岐阜県、1972年