大善寺の秘仏薬師三尊像
5年に一度のご開帳
住所
甲州市勝沼町勝沼3559
訪問日
2008年10月4日、 2023年10月5日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
大善寺は中央本線の勝沼ぶどう郷駅の南。2キロ半以上あり、アップダウンもあるので、40〜45分くらいと考えて歩くとよい。駅から南東方向を経由する遊歩道(ハイキングルート)もあるらしい。
駅前にはタクシーが常駐。
お寺のすぐそばに、甲州市民バスのバス停「大善寺」がある。甲州市民バス、ワインコースで勝沼ぶどう郷駅から、または甲州市縦断線で塩山駅南口か甲斐大和駅からの乗車になるが、どちらも本数は多いとはいえない。その他の手段としては、中央高速バス「勝沼」バス停からも歩ける距離。
→ 甲州市民バス
二層の立派な仁王門をくぐり、石段を上がった先に本堂(薬師堂)が立つ。方5間(横、奥行きとも柱と柱の間が5つずつある建物)の堂々たる建築で、鎌倉時代後期に幕府の援助で再建された建物である。
その中央にこれまた立派な厨子が置かれているが、室町時代後期のもの。その中に本尊の薬師三尊像が安置される。秘仏で、5年に一度開帳される。
2023年には10月1日から8日までがご開帳期間であった。
拝観料
1000円(ご開帳期間)
お寺や仏像のいわれ
開創は奈良時代、行基によるというが、史料を詳しく調べると、時代とともに寺伝が書き換えられて創建時期が早くなっていくのが分かるのだそうだ。
自らの寺がより古く、より歴史あるものであってほしいと願うのは人情であろうが、実際には平安前期に地元の有力者であった三枝氏によって創建されたらしい。
この時の本尊が、現在の秘仏の本尊であるようだ。
拝観の環境
中尊の薬師如来像は厨子中にあってやや暗く、また頭頂部などはよく見えなかったが、脇侍の菩薩像は厨子から出されて、その斜め前に安置してくださっていて、すぐ間近で拝観できた。
なお、厨子の左右には、鎌倉時代の日光、月光菩薩像、十二神将像、近世の文殊菩薩像、毘沙門天像が立ち並び、壮観である。(これら諸像については、大善寺の鎌倉期の仏像の項を参照してください)
仏像の印象
中尊、薬師如来像は像高約90センチの坐像。サクラの一木造で、内ぐりもなく、腕までも一本の木で刻み出す(手は別材)という、大変古様なつくりである。
顔は大きく、下ぶくれにつくり、威厳のある表情をしている。体はがっしりとして、やや反り気味である。胸や腹の肉付きの表現は強いラインで表され、特に胸と腹の間に一筋深い彫り込みをいれていて、特に強い印象を与える。
衣の襞(ひだ)の線は実ににぎやかである。右肩にかかる衣や左腕、左肩から腹へ流れる衣文はしつこいほど線が繰り返されている。両足をしっかりとくるむ裳の襞はことに深く、緊張感がみなぎる。
右手は手の甲を上にして膝の上に置かれるが、これはおかしな形である。前回の修理の時にそのようにしてしまったとのことだが、手先そのものが後補である。しかし、全体的には後補部分は少なく、保存状態は大変よい。
両脇侍は約1メートルの立像で、同じくサクラの一木造である。下ぶくれの顔、多い襞の線、胸や腹を強調する彫り込みは中尊と共通するが、全体に中尊に比べておとなしい印象である。顔の表情は優しげで、衣の線も浅く表現されている。しかし、くびれた腰から腿の上部が急に太くなり、天衣が横切る膝のあたりから下から足首にかけて襞が執拗に刻まれ、また条帛や両足の間には渦巻きの文様が見えるところなど、平安前期彫刻の特徴がよく出ていて、大変魅力的である。
その他
秘仏本尊は左手にぶどうを持つ。
最寄り駅、勝沼ぶどう郷の駅名の通り、ここはぶどうの産地として有名であるが、その発祥の地は大善寺であるという伝承がある。ぶどうはかつて薬であり、寺伝によればこの地を訪れた行基がぶどうを持った薬師仏を夢に見てこの寺を開き、またぶどう園を設けたという。
ぶどうは千手観音の持物のひとつでもあるように、仏教とのかかわりが深いが、行基と山梨のぶどうがつながっているというのは、なかなかの想像力と思う。
さらに知りたい時は…
『山梨の名宝』(展覧会図録)、山梨県立博物館、2013年
『関東の仏像』、副島弘道編、大正大学出版会、2012年
『大善寺(山梨歴史美術シリーズ2)』、山梨歴史美術研究会、2008年
『祈りのかたちー甲斐の信仰』(展覧会図録)、山梨県立博物館、2006年
『山梨県史 文化財編』、山梨県、1999年