古長禅寺の夢窓国師像
死後6年、祥月命日に造像

住所
南アルプス市鮎沢505
訪問日
2025年1月28日
この仏像の姿は(外部リンク)
南アルプス市・木造夢窓国師坐像
拝観までの道
甲府駅前のバスターミナルから山梨交通バス鰍沢営業所行き、またはフォレストモール富士川行きに乗車し、「JA大井支所」下車、東へ徒歩約5分。バスの便数は日中1時間に1本程度だが、土日祝日は少なくなる。
他の行き方としては、中央本線の竜王駅、身延線の東花輪駅から「JA大井支所」(または「甲西支所」)まで南アルプス市のコミュニティバスがある。
拝観は事前連絡必要
拝観料
志納
お寺やお像のいわれなど
古長禅寺のある場所にはかつて真言宗の寺院があったというが早くに廃絶し、のちに夢窓疎石(夢窓国師)が臨済宗の寺として長禅寺を開いた。
夢窓疎石は鎌倉時代から南北朝時代にかけての名高い禅僧である。甲斐国(山梨県)との関係は深く、生まれは伊勢国だが、幼少時に甲斐に移り、天台・真言の寺院で学んだ。そこで得た素養をもとに夢窓の禅宗は確立されたとされる。夢窓は甲斐国を何度も訪れて恵林寺などの寺院を創建しており、(古)長禅寺もまた夢窓によって1313年に開創されたという。
夢窓はまた作庭の名手としても知られ、古長禅寺の本堂前の庭(心字の池がある)も夢窓の作という。
戦国時代には武田信玄とその母大井夫人の尊崇が深く、信玄はこの寺を自らの膝元である甲府に移したが、完全な移転ではなく元の地にも寺を残したので、それが今日の古長禅寺として続いている。
拝観の環境
本堂の裏手に開山堂があり、夢窓疎石の肖像がまつられていた。しかしこのお堂は20世紀前半に火災で焼け、座っていた椅子は焼けてしまったものの、像本体はかろうじて救い出されたという。
現在は本堂内、本尊に向かって右側の間に安置され、すぐそばで拝観させていただける。前にはガラスがはまるが、照明もあり、よく見ることができる。
お像の印象
像高は約80センチの坐像。ヒノキの寄木造、玉眼。
まるで生きてそこにお座りになっているかのごとき像である。少し尖った頭、額のしわ、鋭い眼光、細面のお顔など、生き生きとしたのどの感じなど、素晴らしい。
独特のなで肩は、「夢窓の撫で肩」といわれた特徴をよくとらえている。
左胸のところに袈裟輪をつけ、ゆったりと袈裟を着ける。前に垂れる衣は等間隔に筋が入って、やや形式的になっているようでもあるが、斜め下から見上げるようにして拝観させていただくと、衣の下の組んだ足の様子が感じられ、写実性豊かな素晴らしい肖像彫刻であると改めて思う。
像内銘があり、南都仏師行成(ぎょうじょう)の作、造像年は1357年とわかる。これは夢窓の死の6年後で、7回忌を意識してつくられた像なのであろう。9月晦日(みそか)の日にちが記され、これは夢窓の祥月命日である。
なお、長禅寺が甲府に移転されたときにこの夢窓の肖像も移されるところであったが、途中でどうしても動かすことができなくなり、古長禅寺に戻されたとの逸話が伝わっている。
さらに知りたい時は…
『相模川流域のみほとけ』(展覧会図録)、神奈川県立歴史博物館、2020年
『南北朝時代の彫刻』(『日本の美術』493)、山本勉、至文堂、2007年6月
「南北朝時代の頂相彫刻」(『日本の美術』493)、浅見龍介、2007年6月
『山梨県史 通史編2』、山梨県、2007年
『祈りのかたち 甲斐の信仰』(展覧会図録)、山梨県立博物館、2006年
『山梨県史 文化財編』、山梨県、1999年
→ 仏像探訪記/山梨県