吉祥院の仏像
「出羽一仏」と称される
住所
山形市大字千手堂509
訪問日
2013年8月11日
この仏像の姿は(外部リンク)
山形の宝検索navi 木造観世音菩薩立像 木造菩薩形立像 木造天部形立像
拝観までの道
交通は、山形市内から天童市方面に向う山形交通のバスで「千手堂」下車、北西方向に徒歩5分あまり。
鉄道では奥羽本線の南出羽駅または漆山駅から徒歩約20分。
毎年8月10日の夕方から開扉し、法要を行っているそうだが、それ以外の日でも事前連絡で拝観可能。
拝観料
500円
お寺や仏像のいわれなど
吉祥院は千手観音像を本尊とするお寺。奈良時代、行基が開いたという伝承をもつ。
今は本堂とその後ろに建つ耐火式の収蔵庫、それに庫裏があるばかりだが、本寺の仏像は「出羽一仏」すなわち秋田、山形でもっとも尊重される仏像と呼ばれる。
文化財指定されたのも早く、またその保全のために収蔵庫(奥之院)を設けたのもこの地域では古いのだという。
伝来する7躰の古仏は平安時代の作と思われ、この寺院が古代より栄えていたことを示している。
拝観の環境
収蔵庫に入れていただくと、正面に宮殿(くうでん、厨子)が置かれ、中に中尊・千手観音像、左右に伝薬師如来像、伝阿弥陀如来像が安置されている。また、宮殿の手前には4躰の古仏が安置されている。
宮殿内は覗きこむようにしての拝観となる。
仏像の印象
宮殿内の三尊のうちの中尊は、像高は175センチ、ケヤキの一木造で内ぐりもない古様なつくり。全身に木目が出ており、手や足先などを失っているが、整ったとても美しいお顔の像である。
頭部は大きめ。まげは低めに結っている。
足釧(足首につけられているアクセサリー)が刻まれていのは珍しい。
お寺ではこの像を千手観音像と伝えているが、腕が失われているために、木造菩薩立像として文化財指定されている。しかし、残された痕跡から複数の腕が左右についていたようで、実際に千手観音像として造られた可能性は高いと思われる。
左右の2尊は、寺伝では阿弥陀如来像、薬師如来像とされる。しかし、条帛、天衣をつけるなど、菩薩の姿であり、文化財指定の名称としては木造菩薩形立像となっている。
今は千手観音像を中央に、向かって右に伝薬師如来像、向かって左に伝阿弥陀如来像が安置されているが、かつては伝阿弥陀如来が中央で、千手像、薬師像を脇に従えていたという。
宮殿は、量感豊かな三尊像がゆったり納まるほどの大きさはなく、横一列に並ぶのが難しいためか、左右の像は正面向きでなく、中央を向いているので、表情はあまりよくわからない。向って右側の伝薬師如来像は顔がかなり小さめで、彫り直されていると思われる。左側の伝阿弥陀如来像は、体の厚みがよくわかり、一木づくりの仏像の豊かな量感の魅力がとてもよく感じられる。
像高は170センチ前後。
その他(宮殿前の4像について)
宮殿の手前に古仏が4躰安置されている。女神の姿の天部像が2躰、鎧を着けた天部像が1躰、破損が著しく目鼻立ちもわからない菩薩形立像が1躰である。
菩薩形立像は寺伝では子安観音といい、像高は約50センチ。
他の像は1メートルくらの立像で、内ぐりがある。
女神の姿の1躰は、お寺では勢至菩薩像と呼んでいる。額に3番目の目をつけ、亀に乗るという珍しい姿である。水天像であろうか。頭頂や手を失い、胴も破損が進むが、それによって深く内ぐりされているのがわかる。
鎧をつける像は毘沙門天像とされる。腕は失われているが、どうやら手の先が顔の左右についているようで、顔の皮をはぐと下から別の顔が出てきている様子をあらわしているように見える。二十八部衆像のうちの1躰で、顔が割れて別の顔を見せる像(京都・三十三間堂の二十八部衆像の場合では散脂大将という名称がついている)があるが、その像なのであろうか。そうであるならば、二十八部衆像の貴重な古例ということになる。
もう1躰の女神像は吉祥天像と呼ばれる。髪を中央で分けて左右に長く垂らす女神像で、優しい顔立ちの像である。
さらに知りたい時は…
『みちのくの仏像』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2015年
『みちのくの仏像』(『別冊太陽 日本のこころ』200)、平凡社、2012年10月
『ふるさとの仏像』、山形市教育委員会、2011年
『山形県の文化財』、山形県教育委員会、2002年