龍蔵寺の大日如来像
鎌倉御家人・佐々木高綱自刻像と伝える
住所
山口市吉敷1750
訪問日
2008年12月21日
拝観までの道
龍蔵寺は山口駅の西北、約7キロ半のところにある。
山口駅からレンタサイクルで1時間弱。道はほぼ平坦だが、最後の数百メートルは上り坂である。山口駅から出ているコミュニティバス(吉敷・湯田ルート)ならば、「吉敷郵便局前」か「上東」で下車し西へ徒歩40分くらい。そのほかの交通手段としては、山口駅の隣の湯田温泉駅からタクシーとなる。
この寺の境内には、「鼓の滝」という小さいが何段かになって落下する優美な滝があり、名所となっているらしい。ここから発する川は山口県有数の河川である椹野川(ふしのがわ)の支流のひとつで、寺へはその支流に沿って上流に向う道を行くわけである。近くまで来ると随所に道しるべがあってわかりやすい。住宅街から次第に狭い谷間の集落となり、道の終点が龍蔵寺である。
* 大内文化まちづくり・レンタサイクル 山口市コミュニティバス
大日如来像など仏像は収蔵庫(宝物殿)におさめられている。雨天時などは開扉されない(その場合は入山のときにお願いしてみると開けてくださることもある)。
拝観料
入山料として200円
お寺や仏像のいわれなど
この寺の草創ははるか歴史のなかに模糊としてある。古代に役行者や行基が来たって開いたとされるが、これは江戸時代に寺から藩に提出された文書にあることがらであり、それ以前にさかのぼることができる史料等は残されていないようである。
大日如来像は本来は近くの木崎というところにあった大日堂にまつられていたもので、近代になってそのお堂が廃絶となり、移されてきたそうだ。伝承では、『平家物語』に登場する源氏方の勇者・佐々木高綱がこの地に寺を建て、その本尊としてこの像を自ら刻んだという。この寺はのちに火事にあい、大日堂だけが残ったと伝える。
佐々木高綱といえば、宇治川の合戦で梶原景季(かげすえ)と先陣争いをした話が有名だが、その故事にちなみ、大日堂があった木崎では近年まで草競馬が行われていたとのこと。こうした伝承や催しが受け継がれてきたということは、地元の方にとってこの源平合戦時代の武将がよほど身近な存在に感じられていたからなのであろう。
拝観の環境
収蔵庫内はライトの設備があるが、切っていることもあるので、懐中電灯があるとよい。
近くで拝観できるが、前面からのみの拝観。
仏像の印象
大日如来像は収蔵庫の左奥に安置されている。像高約1メートルの坐像。ヒノキの一木造である。
丸顔、若々しく、また温厚な顔つきで、平安時代中、後期の様式である。大きく華やかな冠をつけ、全体に都ぶりの作だが、衣文の線はややぶっきらぼうで、地方作であることを示す。膝は高くはないが、左右への張りは大きい。全体に保存状態はよい。
光背、台座も豪華であるが、これらは鎌倉時代に補われたものとみられる。
その他
収蔵庫の中央の厨子には、千手観音坐像が安置されている。鎌倉時代の作だが、25年に一度開帳の秘仏である。1985年の修理の際水晶の舍利容器が頭頂部より発見され、厨子前にケースに入って展示されている。
その脇には不動明王と毘沙門天の像が立つ。像高は1メートルほどで、動きを抑えた不動像と大きな動きの毘沙門像はバランスがよく取れている。もともと一具と思われる。すぐれた中世作の像である。
さらに知りたい時は…
『鼓の滝 瀧塔山龍蔵寺』(お寺発行の冊子)、高橋文雄、1980年
『山口駅文化財要録』4、山口県教育委員会、1978年