阿弥陀寺の重源上人像

  東大寺再建の前線基地としてつくられたお寺

住所

防府市牟礼1869

 

 

訪問日

2009年3月29日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

阿弥陀寺アジサイ保存会・阿弥陀寺について

 

 

 

拝観までの道

防府駅天神口(北口)から防長バス阿弥陀寺行きで約25分、終点下車。バスの本数は日中1時間に1〜2本だが、土休日は少なくなる。 

 

防長交通・防長観光バス・路線バス

 

宝物庫は本堂に向って右手にある。拝観は、事前に予約必要。

 

 

拝観料

400円

 

 

お寺や仏像のいわれなど

このお寺は、東大寺の復興の中心となって活躍した重源上人が開いた寺で、今も東大寺別院を名乗る。

源平の争乱のさなか、平氏の放った火によって南都は炎上、東大寺もほとんどの堂が焼け落ちた。そのお堂の再建や仏像の再興のためにはおびただしい用材が必要となるが、もはや近畿地方にはそれだけの木材供給地は残っていなかった。そこで重源が目をつけたのがこの周防であり、活動の拠点として開いたのが本寺である。

山中より木材を切り出し、都へと送るのは並大抵の事業ではなかったであろう。後白河院のお墨付きを得てのこととはいえ、現地の武士が陰に陽に抵抗したこともあって難航するも、不屈の意志によって彼はやり遂げてしまった。

 

その後阿弥陀寺は衰退し、特に室町時代から江戸前期にかけては、阿弥陀寺にとって厳しい時代であったようだ。

現在は重源の時代の建物はひとつも残らない。だが、重源が材木を切り出す人夫のためにつくった湯屋の鉄釜は今日まで伝わり、また重源の湯屋の伝統を継ぐ石風呂(岩風呂)は、今も月1度たてられているそうだ。また、重源上人の肖像彫刻、重源造立の鉄宝塔、鎌倉時代の仁王像が伝えられている。このうち、重源像と鉄宝塔は宝物庫に、仁王像と鉄釜は仁王門に置かれている。

 

 

拝観の環境

宝物館の中で、間近に拝観できた。

なお、筆者が訪れた時には旧宝物館(1962年に建てられたもの)だったが、台風による打撃もあり、向い側に新しい宝物館を建設中だった。この新宝物館は、2010年10月に開館したと聞いている。

 

 

仏像の印象

重源上人像は像高約90センチの坐像。

重源像は東大寺俊乗堂、兵庫・浄土寺(奈良国立博物館寄託)、伊賀・新大仏寺にも伝わる。これらはいずれも重源ゆかりの寺院である。しかし、東大寺像などが晩年の老いた姿で、数珠をまさぐる形であるのに対して、阿弥陀寺の像は合掌している。老人の姿には違いないが、東大寺像に比べてやや若い印象である。しかし、どちらの像も左目が大きく開いていず、重源の姿を知るものがその特徴をとらえて制作したものであるということでは共通している。

構造も他の3像が寄木造であるのに対しては阿弥陀寺像は一木造で内ぐりもないのは、この地域の仏師によって造られた像であるためなのだろうか。

やや若い姿なのは、この周防の地で活動していた時期の姿を写したものと考えることができる。

ほんの少し斜め上を向いて、右目を大きく開き、口をへの字に結ぶ顔つきは、不屈の僧、重源の面影をよく伝えているように思う。

 

 

その他

宝物館内にはこの他、重源によって鋳造された国宝の鉄宝塔、国庁寺というお寺に元あったとされる鎌倉時代の釈迦如来坐像、木喰仏などが安置されていた。

 

 

さらに知りたい時は…

『大勧進 重源』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2006年

『重源上人』(展覧会図録)、四日市市立博物館など、1997年

『東大寺別院 周防阿弥陀寺』(お寺発行の冊子)、1986年

『国宝・重要文化財 仏教美術 中国3』、奈良国立博物館編、小学館、1977年

 

 

仏像探訪記/山口県