瑞龍寺の烏蒭沙摩明王像
片足立ちし、怒りを表現

住所
高岡市関本町35
訪問日
2009年10月18日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
高岡駅南口から西南に徒歩10〜15分。
拝観料
500円
お寺のいわれ
高岡駅で下車すると、通路などそこここに貼られた前田利長(としなが)をイメージしたマスコットキャラクターが迎えてくれる。
利長は前田利家の嫡子で、加賀藩の第2祖。高岡という地名は彼の命名による。今でこそ富山県第2の都市だが、それまでは「関野」と呼ばれていた荒野に過ぎなかった。彼は隠居後の生活のために高岡城を築き、移り住んだ(その死後、一国一城令のため廃城。現在は古城公園)。
利長はまた、法円寺という寺を富山から高岡に移した。のちに3代利常が利長の戒名にちなんで瑞龍寺と改名し、菩提寺として整備した。
瑞龍寺を訪れると、壮麗なつくりに圧倒されるが、100万石で名高い加賀前田家によって建てられた寺というだけある。直線上に配された山門、仏殿、法堂(はっとう)は国宝指定されている。講堂にあたる法堂の中央、本尊があるべき位置には利長の位牌が置かれていて、この寺の成り立ちをよく表す。
駅から近く、加賀藩ゆかりの大寺ということで、観光客も多いお寺である。
拝観の環境
法堂、正面向って右側の間に安置されているのが、烏蒭沙摩(うすさま)明王像である。
厨子中に安置されているが、照明もついていて、よく拝観できる。
仏像の印象
烏蒭沙摩明王は金剛夜叉明王に代わって五大明王の一員となることもあり、また独尊でもまつられるというが、実際にはあまりお目にかかることの少ない珍しい像である。
独尊の場合、烈火によって不浄を浄となすという性格から密教や禅宗寺院においてトイレに安置されるというが、お札としてまつられていたり、彫刻でも小さな像をつくってまつるということが多い。この瑞龍寺の像は像高が120センチ近くあり、おそらく日本で最も大きい烏瑟沙摩明王像であると思われる。
大きいだけではない。彫り口もなかなかみごとである。瑞龍寺には仏殿など近世の仏像が多く安置されているが、この像はその中で傑出しているといってよい。
その姿は右手を大きくあげ、右足一本で岩上に立つ。左足をあげて足先を左手でつかむというなかなかユニークなもので、バランスが大変よい。衣は荒々しく波立ち、そこへ下方からライトが当てられていて、なかなかドラマチックである。
顔は斜め下を向き、目線の先には猪の頭をした小像が腕を後に回して大和座りをしている。解説をしながら団体客を先導してやってきたお坊さんの話によると、これは釈迦の説法を妨げようとした悪者で、このように縛められているのだそうだ。
顔は忿怒形だが、よく見るとやや平板な感じがする。また、深くひだを刻んだ衣も、荒々しさをよく表現する一方で、整然としたところがない。そうしたことから中世といっても鎌倉時代よりは下って室町期の作と思われる。そうするとお寺より古いことになるが、この寺にまつられる以前のことは不詳。
いや、そうでなく近世作であるという説もある。江戸期の仏像は一般的に生気に欠けるというが、中には古典によく学んだ優作もあり、そういわれればそうかもしれないとも思う。
仏像の時代を見た目で判断するのは、簡単でない。類例が豊富なものは判断しやすいが、本像のように他と比較することが困難な像の場合、特に難しい。
その他
烏蒭沙摩明王は、烏瑟沙摩明王、烏枢沙摩明王などとも書かれる。信仰すると男子を授かるともいわれるので、お殿様が跡継ぎを求めて深く信心していたのかもしれない。
さらに知りたい時は…
『禅宗の彫刻』(『日本の美術』507)、浅見龍介、至文堂、2008年8月
『瑞龍寺展』(展覧会図録)、高岡市教育委員会文化財課、1998年