覚恩寺の如来像
「かくれ里」の仏さま
住所
宇陀市大宇陀牧
訪問日
2011年8月7日
覚恩寺への道
国道370号は、奈良市から宇陀市、吉野町、五條市を経由して和歌山県へと至る道である。覚恩寺(かくおんじ)は、その宇陀市から吉野町へと抜ける道沿いにある。
交通は、近鉄大阪線榛原(はいばら)駅南口から奈良交通バス「大宇陀」行きに乗車し、終点下車。このバスは日中1時間に2本、乗車時間は20分くらい。
「大宇陀」バス停は道の駅「宇陀路 大宇陀」の前にある。ここで宇陀市営有償バス(大宇陀南部線)に乗り換える。内回り、外回りがあり、あわせて1日6本が運行されている。覚恩寺はその路線の「千本橋」で下車し、徒歩約10分。バス停から南へと向うと、左手に覚恩寺を示す案内表示がある。それに従ってゆるやかな上り坂をあがると正面に九頭神社、その南側に覚恩寺がある。
覚恩寺について
覚恩寺のある牧という集落は南北朝期には真木(牧)氏が南朝方として活躍したといい、覚恩寺はその菩提寺という。しかし戦国時代に兵火で焼かれ、記録も残らず、中世の十三重石塔1基と収蔵庫のみ残る。現在は融通念仏宗。
12軒の牧の集落で管理し、拝観は事前に牧地区の区長にお願いする。志納。
問い合わせは宇陀市役所商工観光課へ。
収蔵庫内で、間近よりよく拝観させていただけた。
覚恩寺の2躰の如来坐像
収蔵庫には2躰の如来像が安置されている。
向って右は、覚恩寺本尊の阿弥陀如来像で、定印の坐像。像高は約70センチ。ヒノキの寄木造、玉眼。
ややくせのある顔つきである。また、衣文の線も平行線の繰り返しで、少々もの足りないが、それを差し引いても、鎌倉仏の魅力あふれる像である。
ほおはふくらんで、張りのある顔だちで、螺髪は小粒で整う。髪際は正面で低くカーブする。体には厚みがあり、膝は大きく張って、襞(ひだ)は一本一本がつまめそうに太くつくられている。
光背、台座は後補だが、本体の保存状態はとてもよい。
向って右、厨子中に安置されている薬師如来像は、像高約45センチ。近くにあって廃寺となった法楽寺(地元では「ぼうらくじ」とよんでいる)から移されてきた像と言われる。
施無畏・与願印で、薬壷を持たない。
丸顔、大きい肉髻、高い上半身、薄い胸板など、定朝様の特徴をよく備える。少し低い位置から見上げるように拝すると、小さな像にもかかわらず、雄大な仏像のおもむきを備える。膝の高さは低く、衣の襞(ひだ)も省略気味である。
その他(大蔵寺について)
覚恩寺に行くときのバス路線で「大蔵寺前」で下車し、北西に坂道をのぼってゆくと15分から20分ほどで大蔵寺(おおくらじ)につく。
丸山尚一が著書『地方仏を歩く』の中で、印象深い話を書いている。丸山は、これから海外に渡航するという若者を大蔵寺に連れて行ったとのこと。彼は、室生寺とこの大蔵寺を最も日本らしいところと考えていたのである。
筆者は2011年、「本尊ご拝顔」として拝観させていただけたが、残念ながら現在は観光、参拝のいずれについても受け入れを行っていない。
さらに知りたい時は…
『かくれ里(愛蔵版)』、白洲正子、新潮社、2010年
『地方仏を歩く』1、丸山尚一、日本放送出版協会、2004年
『鉈彫荒彫』、藤森武、玉川大学出版部、2001年