法隆寺百済観音堂の百済観音像
1998年にお堂が完成
住所
斑鳩町法隆寺山内1ー1
訪問日
2008年6月28日、 2019年11月3日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
JR法隆寺駅北口から徒歩(20分くらい)、または駅南口から「法隆寺参道」行き奈良交通バスが出ている。南口にはレンタサイクルのお店もある。
王子や奈良公園方面からバスの便もある。「法隆寺前」で下車。
金堂、五重塔のある西院伽藍(さいいんがらん)を出て、聖徳太子をまつる聖霊院を過ぎると、綱封蔵や食堂など非公開の建物が並ぶ一角がある。その北側に大宝蔵院がある。
大宝蔵院は、1998年に建立された法隆寺の寺宝展示館で、その中心に百済観音堂がつくられている。
拝観料
西院、夢殿と共通で一般1,500円。
お堂や仏像のいわれなど
百済観音はかつて金堂北側に客仏として安置されていたそうで、それ以前の伝来については不詳。
ただし、近年の研究によると法隆寺周辺に伝わった仏であるとされ、もともと法隆寺にあった像であるとしる説も出されている。
奈良国立博物館に寄託されていた時期が長く、法隆寺内に大宝蔵殿(まぎらわしいが、大宝蔵院とは別)という宝物館が20世紀前半に建てられてからは、その1室に安置されていた。かつて法隆寺を訪れた時、これほど有名な仏像が、あまりにさりげなく展示されていて逆に驚いたことを覚えている。
百済観音堂ができる直前の1997年、百済観音像は海を渡った。フランス・ルーブル美術館で展示されるためである。帰国後、百済観音像は東京国立博物館で約1ヶ月間特別展示された。この時の展示は、多くの観覧者を予想してということもあって高い位置で、全体を暗くし、スポット照明を非常に効果的に使ったもので、百済観音の魅力をよく引き出していた。
その後、仙台、名古屋等を巡回した後、百済観音像は完成した百済観音堂におさまった。
像の印象/拝観の環境
百済観音堂に安置された百済観音像は、97年に東京国立博物館で見た展示の対極ともいうべき姿だった。スポット照明をメインとせず、お堂全体を明るくして、ケースに守られて立っている。また、高い位置に置かれていないこともあって、荘厳さよりも親しみを感じる。とてもよい印象であった。(あえて難を言えば、前の飾り物のために、真正面からだと全身が視野に入らない。博物館の展示ではないのだから、それは仕方のないことであるが。)
側面からも拝観できるので、控えめだが柔らかに感じる体の線や繊細な手の表情なども見てとれる。頭光を支える支柱は節を刻んで竹のように見せている。その一番下には山岳のような模様が刻んであるが、これは世界の中心である須弥山(しゅみせん)であり、それをそのように小さく描くということは、観音の偉大さを表現したいがためであろう。その須弥山の浮き彫りも横から見ることが可能である。
国友俊太郎氏と百済観音堂
百済観音堂を含む法隆寺大宝蔵院の展示設計を行ったのは、国友俊太郎という方である。
氏は画家志望であったが召集され、日本敗戦後は中国で戦犯として収監された。有名な話だが、中国は自らの国を蹂躙した日本の兵士に対して決して報復的な扱いをせず、自らの人生を問い直す時間を与えたのち、釈放して日本に送り返すということをしたのである。
九死に一生を得て中国から帰還したに旧戦犯に対し、日本社会は決して暖かくはなく、「中国に洗脳された人」として冷たく扱われることもあったという。
帰国して3年後、国友氏は装飾業会社に就職するが、その会社がたまたま百貨店の文化催事会場の施行工事を担当していたことから、氏のその後の人生は大きく展開してゆくことになる。本格的なミュージアムがまだ少なかったころは百貨店の催しとして行われた展覧会の会場づくり、やがて各自治体がこぞってミュージアムを建てる時代になるとその設計、考古遺物を展示する特殊な展示装置の開発、大きな特別展の企画、そして学芸員養成のための大学の講師まで、氏は戦後ミュージアムの最前線にあり続けた。
百済観音堂の展示は、国友氏晩年の代表作であり、到達点ともいえる。
その他
百済観音の造像年代については7世紀前半(飛鳥時代)という説と7世紀後半(白鳳期)という説がある。7世紀後半説の根拠として、この像の宝冠および腕のアクセサリーの模様と、法隆寺献納宝物の灌頂幡や伎楽面の宝冠を比較検討した研究があり、説得力がある。
大宝蔵院内は全体的に照明がやや抑えられているが、数多くの法隆寺の名宝に出会うことができる。
さらに知りたい時は…
「法隆寺の工芸」(『日本美術全集2 法隆寺と奈良の寺院』、小学館、2012年)、加島勝
『法隆寺を歩く』、上原和、岩波新書、2009年
『飛鳥白鳳の仏像』(『日本の美術』455)、松浦正昭、至文堂、2004年4月
『奈良六大寺大観 補訂版4(法隆寺四)」、岩波書店、2001年
『洗脳の人生ー三つの国家と私の昭和史』、国友俊太郎、風濤社、1999年
『奈良/法隆寺2』(『週刊朝日百科』002)、朝日新聞社、1997年2月
「百済観音の装身金具について」(『仏教芸術』243)、加島勝、1993年3月
『特別展 百済観音』(展覧会図録)、東京国立博物館・法隆寺、1988年