橘寺の伝日羅像
春と秋、それぞれ約1月間公開
住所
明日香村橘532
訪問日
2014年5月5日
拝観までの道
橿原神宮駅東口と飛鳥駅を結ぶ奈良交通バスで「川原」または「岡橋本」下車。
バス以外では、飛鳥駅前など明日香村にはレンタサイクルの営業所がいくつもあるので、それを使うと便利。
県道155号の南側の高台に建っている。なお。南側には川原寺の伽藍跡が史跡公園として広がっている。
伝日羅像は聖倉殿(宝物館)に安置され、春秋の時期に公開されている。
2014年春の公開は4月5日から5月6日までだった。秋は10月上旬から11月上旬のやはり1ヶ月間という。
拝観料
350円
お寺や仏像のいわれなど
橘寺は聖徳太子が建立した7つの寺のひとつとされる。
聖徳太子が生まれたのがこの付近である、また太子が勝鬘経を講じたのが橘寺のおこりであると伝えられている。
しかし、実際の創建年代や創建の事情等はよくわかっていない。『日本書紀』680年の条に橘寺炎上の記事があるが、これが同寺に関する信憑性ある最古の記述のようである。
現在の伽藍はすべて幕末から近代初期のものとなっている。門は東側にあり、伽藍全体が東面するが、どうやら当初から橘寺は東面してつくられ、中門、塔、金堂、講堂が一直線にならんでいたらしい。
また、初期には尼寺であったようで、北側の僧寺・川原寺ともともとセットしてつくられたということも考えられる。
現在は天台宗寺院。
拝観の環境
伝日羅像が安置される収蔵庫内は明るく、近くからよく拝観できる。
像の印象
日羅は6世紀の人で、九州の出身だが百済王に仕え、帰国後非業の最後を遂げたという。聖徳太子の師でもあったと伝える。
伝説的人物だが、その伝承からいかにも破格の人物とのイメージが浮かび、いつの頃からか本像の非常に独特の風貌と重なり合わされて日羅像と呼ばれるようになったのであろうか。
もとは地蔵菩薩として造立されたのだろうが、あるいは僧形の神像としてつくられたという可能性もあると思われる。
像高は約145センチと決して大きい像ではないが、その存在感ゆえに大きく感じられる。
針葉樹材の一木造で、両手先は後補。足下の受花まで一材から彫出されている。
頭部は小さく、体が大きい。体は一見直立に近いようだが、よく見るとかなりひねりが入っている。右肩をわずかに後ろに引き、左のももを前に出す。腰をひねりながら右のひざを前に出しながら、右足を半歩斜めにする。やってみようとしてもできない体勢である。その姿勢に伴って、腹から股間の衣の線が左右対称を大きく崩す。
さらに衣のひだは太い紐状につくられており、場所により茶杓の先のように曲がったり、枝分かれしたりもしている。さらに渦巻きの文や左肩の衣の端の折り返しなどにぎやかだが、華麗な感じはなく、あくまで質実である。
首の三道や腹のくぼみの線は、肉体の弾力感をよく伝える。
頭部は頭髪が生えていたであろう生え際にしっかりと線を入れる。円頂は平らに近い。
左右の頬の肉づけに違いがあるように思う。右半面の方が大きくつくられているように思うのだが、いかがなものであろうか。
目は切れ長で、鼻は低めながらよく通る。口も小さめである。
正面だけでなく右の側面も回り込んで見えるようにしてくださっているのだが、横から見た顔つきは意外に涼やかな感じがする。
橘寺のその他の仏像
収蔵庫にはもう一体、地蔵菩薩像が安置されている。平安前期から中期にかけての作で、顔は小さめ、体躯はなかなか量感ある一木彫像である。
本堂(太子堂)本尊は聖徳太子像で、勝鬘経を説いている壮年の姿である(太子講讃像)。
室町時代、椿井舜慶の作(ただし、拝観位置から像までは遠く、よく拝観するのは難しい)。
観音堂本尊の如意輪観音像は、平安時代後期の作だが、顔以外は後世の補作であるのが残念である。像高は170センチの坐像で、等身の倍ほどもある。
その他(飛鳥寺、飛鳥資料館、岡寺の仏像)
筆者はこの日、あわせて飛鳥寺、飛鳥資料館、岡寺をまわった。
それぞれ、橿原神宮駅東口または飛鳥駅から奈良交通バスで「飛鳥大仏」、「資料館」、「岡橋本」で下車する。
これらを効率よく回るには、やはりレンタサイクルが便利。しかし飛鳥資料館から飛鳥寺、岡寺、橘寺の順に徒歩で行くことも十分可能な距離である。
飛鳥寺の本尊「飛鳥大仏」は、止利仏師作の金銅釈迦如来坐像である。
火中したあとや後補部分もあるものの、そのためにかえって歴史の重みや迫力が伝わってくる(なお、かつては顔や手の一部といったごくわずかな部分だけが当初のものと言われてきたが、近年、頭頂・左手先・右膝などは後補であるものの、当初の部分もかなり残っているという調査結果も出されている)。
大きく見開いた目は特に印象的である。
ライトで明るく照らしてくださっているので、よく拝観できる。
拝観料は350円。
飛鳥資料館は、入館料一般270円で、原則月曜日休館。
展示は多岐にわたるが、仏像関係ではせん仏や押出仏が展示されている。山田寺跡などからの出土品で、たくさんつくられて堂内を荘厳したものである。奈良時代に入る前、いわゆる白鳳期のおおらかさが感じられる。
岡寺は東の丘にあるので、最後は上り坂になる。西国三十三所霊場の札所であり、参拝客が多い。拝観料は300円。
本尊は2臂の如意輪観音像で、奈良時代の塑造。像高が4.5メートルもある坐像。
体部は後世かなりつくり直されているようだが、幸いにも顔は当初の姿をよく伝える。
目は見開きを大きくとり、鼻筋はよく通り、ほおの肉付きよく、やや四角張った顔つきである。大変強い印象の顔立ちと思う。彩色はほぼ落ちて、塑土の白い色を見せている。
外陣、向かって右の奥には一木造の兜跋毘沙門天像(かなり破損が進む)が安置されている。
ほかにも岡寺には古代の仏像が何躰も伝えられているが、博物館に寄託されている。
さらに知りたい時は…
『仏像』(展覧会図録)、東京国立博物館・読売新聞社、2006年
『飛鳥の寺』(『日本の古寺美術』14)、大脇潔、保育社、1989年
『神像彫刻の研究』、岡直己、1966年、角川書店