極楽寺の阿弥陀如来像
来迎印、半丈六の名像
住所
安堵町東安堵1453
訪問日
2015年3月15日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
奈良県安堵町は、斑鳩町や大和郡山市に隣接する人口8,000人ほどの町である。
町内に鉄道の駅はなく、バスかレンタサイクル(法隆寺駅南口にある)での移動となる。バスは平端駅と法隆寺駅間の奈良交通バス、「東安堵」下車、南南東へ徒歩約5分。ただしバスの本数は多くない。
平坦な町なのでレンタサイクルも快適である。
お寺付近の道は狭く、地図を持つことをお勧めする。
拝観は法要等のないときには基本的に自由であるが、メール(お寺のホームページについている)で連絡をしてゆくとよい。
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれなど
この場所にはかつて常楽寺という大きな寺院があった。飛鳥時代に聖徳太子ゆかりの寺院として創建されたと伝え、平安時代に恵心僧都源信が極楽寺と改めたという。
しかし実際には、常楽寺は次第に衰退しながらも近世まで存続していたらしい。ついに廃寺となったが、その過程で再編、整理されながらその法灯を継いだのがこの極楽寺であるということのようだ。しかし、詳しい歴史はもはや模糊として不詳である。
その極楽寺も無住となり、近所の方が鍵を預かっていたそうだが、近年ご住職のいる寺院に復し、老朽化した本堂も建て直された。
真言宗寺院。
拝観の環境
堂内はライトもあり、よく拝観できる。
仏像の印象
本堂本尊は半丈六の阿弥陀如来坐像。
阿弥陀如来像は像高約140センチ、寄木造、来迎印の像である。
常楽寺関係の近世の史料によれば平安時代中期に源信が再興した際の本尊というが、実際には平安時代後期の本格的な定朝様式の像である。
全身ほぼ真っ黒だが、わずかに箔のあとを残す。
肉髻は半球形に盛り上がり、目は伏し目がち。頬は強く張り、上半身は広く大きい。右足を上にしてゆったりと座る。
衣の襞(ひだ)は定朝様式の仏像としてはかなりしっかりと刻まれている。腹部や両膝の間に垂れる袈裟、また両足をくるむ下半身の布につくられている線は生命力があり、像の存在感を高めている。
その他
本堂内には2躰の観音立像や不動明王坐像や二天像が安置されている。
本尊に向かって左斜め前の聖観音立像は像高約85センチ。一木造、内ぐりもない古様な像で、平安時代中期ごろの作と思われる。
一方向かって右側の像は同じく一木造の菩薩像だが、全体にほっそりとしている。左側の像よりもややあとの作と思われる。
さらに知りたい時は…
『安堵町史 本編』、安堵町史編纂委員会、1993年
『仏像めぐりの旅3 奈良 斑鳩・飛鳥・室生』、毎日新聞社、1992年