松尾寺の仏像
本尊は11月3日に開扉、宝蔵殿は9月~11月上旬に公開
住所
大和郡山市山田町683
訪問日
2019年11月3日
この仏像の姿は(外部リンク)
松尾寺・お寺の由来
拝観までの道
松尾寺は真言宗寺院。
読みは「まつおでら」でよいが、「まつのおでら」「まつのおさん」と呼ばれることもあるらしい。
JR関西本線と近鉄生駒線の間、南北に10kmほどの丘陵地帯を矢田丘陵とよんでいる。標高は300メートル台前半で、ハイキングコースとしても人気である。周囲には、北部東麓に矢田寺、南側には法隆寺があり、古くから仏教が栄えた場所である。
松尾寺はこの矢田丘陵の中央、松尾山の中腹にある。
交通は、JR関西本線の大和小泉駅(東口)または近鉄郡山駅から奈良学園行きのバス(奈良交通)に乗車し、「山田町」下車。ただしこのバスは学園が閉校の日は運休となる(バスの運行についての問い合わせは奈良交通西大和営業所へ)。
下車したら南側に進んで、県道123号に出る。県道を西北西に15分くらい上っていくと、松尾寺の北側に出る。
拝観料
本堂、七福神堂、宝蔵殿、各300円。
お寺や仏像のいわれなど
創建は天武天皇の皇子、舎人親王と伝える。実際に境内からは奈良時代の遺物が見つかっている。また平安時代にさかのぼる古仏も残されている。
本堂は1277年に焼失し、1337年に再建されたもの。内陣と外陣をはっきりと仕切る形式で、中世のお堂として貴重である。本尊はこの火災後の再興像と思われる。
本堂修理の際に屋根裏から焼損した仏像の体部が見つかった。これが焼失前の本堂にまつられていた旧本尊ではないかとされている。一部が損傷してなお190センチ弱の高さがあり、もとは2メートルをゆうに越える大像であった。
この像は宝蔵殿(宝物館)に移されており、開館期間は拝観できる。損傷が痛々しいが、同時に堂々とした威厳をたたえる。
本堂の千手観音像
本堂は境内の北側にある。県道側の北惣門から入って石段を上るとすぐ。
本尊は千手観音像で秘仏。毎年11月3日のみ開扉する。
像高は約180センチの立像で、素地をあらわす。目鼻だちは大振りで、特に眉は力強い。丸顔でほお骨をやや張る。なかなか凛々しく、プロポーションもよいが、外陣からの拝観のため、やや遠い(ご祈祷の方は内陣まで入れるが、それ以外は外陣からの拝観)。
七福神堂の大黒天像
本堂の南側にある本坊の横手に七福神堂があり、本尊は大黒天像である。
像高は約1メートルの立像。寄木造、彫眼。鎌倉時代の作と考えられている。
眉、目を吊り上げて、たいへん厳しい顔立ちである。のちの時代の福の神の柔和さはなく、古式の像である。
引き締まった顔つきに、メリハリのきいた着衣の様子が魅力的である。誇張を避け、自然な立ち姿である。頭には頭巾をつける。
堂内でよく拝観できる。
宝蔵殿の十一面観音像
宝蔵殿は、本坊や七福神堂が建つ一画から東側に下った南惣門の脇にある。毎年9月から11月上旬まで公開されている。
仏像では、旧本尊と考えられている損傷仏のほか、十一面観音像がガラスケースの中に置かれている。
十一面観音像は、像高約1メートルの立像。一木造。平安時代の作。
若々しい表情の美しい仏像である。立ち姿が優美で、額を広くとり、目は伏し目がちに。優しい表情が魅力的である。上半身はたくましく、衣は薄く表現される。胴はよく絞り、腰をひねって右膝を若干前に出す。
膝を横切る天衣にひねりが加えられて、アクセントになっている。
その他(法隆寺への道)
松尾寺は法隆寺のほぼ真北にあり、道が通じている。これが本来の松尾寺への参道であろうか。松尾寺の拝観を終えたのち、この道を法隆寺まで歩いてみた。
南惣門から5分ほど下ると左に分岐があり、「古道七曲道」と表示があるが、そちらではない(県道に抜ける道と思われる)。ゴルフ場に出るまでのおよそ20分間、そのほかに分かれ道はなく、わかりやすい。細く、険しい道だが、下から山道仕様の自転車で上がってくる人もいて、驚かされる。
気候のよい時にハイキングとして歩くのはよいが、スズメバチが活動していることもあるので、注意が必要である。
ゴルフ場へ出ると、あとは舗装された道路となる。大きなため池と斑鳩神社の間を南下し、ため池の南側まで来れば法隆寺の五重塔が望める。
松尾寺から法隆寺まで40分くらいだった。
さらに知りたい時は…
『大和松尾寺の歴史と文化』、松尾寺編、1979年
→ 仏像探訪記/奈良県