本誓寺の十一面観音像

  さまざまに流転を経てきた仏さま

住所

田原本町茶町

 

 

訪問日 

2008年6月29日

 

 

 

拝観までの道

田原本駅からすぐ北東に大きなお寺が2つ南北にならんでいる。その北側の寺が本誓寺である。門は東側にあるので、ぐるりと回って行くことになるが、それでも徒歩5分くらい。

拝観は電話でお願いしておくこと。

 

 

拝観料

志納

 

 

お寺や仏像のいわれ

江戸時代、田原本を治めていたのは平野家である。その祖は賤ヶ岳の七本槍といわれた剛勇の武将であったが、のち徳川家に従い旗本、その後近代への移り変わりの時期に大名に昇格した。本誓寺はその平野家の菩提寺として格式高く、当時の僧が使用した駕篭も保存されている。

 

草創は鎌倉後期で、はじめ本覚寺といったが、平野氏によって復興されたのを機に本誓寺と改めた。

以後も何度も火災にあい、特に1888年にはすべての堂宇が火事で焼けてしまったが、復興なって、1999年に現在の耐火建築の本堂が落成した。

本尊は阿弥陀三尊像。中尊は快慶様を受け継ぐすぐれたできばえで、鎌倉時代後期のものと推定され、前身の本覚寺時代からの像である可能性がある。

 

このお寺でもっとも古い仏像は、本堂の下の階の広間に安置されている十一面観音像である。平安中期ごろの作なので、本誓寺の前身寺よりも古い。もと楽田寺の像と伝え、また大和長谷寺の余り木で彫ったともいう。

楽田寺はこの田原本町内の古刹で、何度か宗旨を変えているのでその際に本尊も変更になって寺から出たのではないかと、本誓寺のご住職はお話くださった。

 

 

拝観の環境

やや暗い場所であるが、すぐ近くで拝観させていただける。

 

 

仏像の印象

クスノキの一木造で、内ぐりを施す。面部には一部乾漆を用いて整えられているという。後補部分が多く、両手、足先、頭上面、垂下する天衣(てんね)など。

顔は小さめにつくられ、よく整っている。上半身はがっしりとして、いかにも平安木彫の趣きがあるが、反面下半身はおとなしい。裳の折り返しの表現など、部分は面白く仕上げられている。材質、表現ともにさまざまな要素が混ざり合った、地方的な彫刻の魅力がある像である。

 

 

その他

十一面観音像のほか、本尊の阿弥陀三尊像や観音堂内の聖観音像(二間観音像と称している。室町期)なども拝観させてくださり、またご住職からご丁寧な説明をいただくことができた。

 

 

さらに知りたい時は…

『田原本町の仏像』、田原本町教育委員会、1984年

 

 

仏像探訪記/奈良県