弘福寺(川原寺)の二天像
平安時代前期、聖宝再興時の像か
住所
明日香村川原1109
訪問日
2014年7月21日
拝観までの道
弘福寺(ぐふくじ、川原寺とも)は、近鉄吉野線の飛鳥駅前から橿原神宮駅東口行き奈良交通バスに乗車、「川原」下車。
ほかには飛鳥駅前など明日香村にはレンタサイクルの営業所がいくつもあるので、それを使うと便利。
県道155号の北側にかつての大寺・川原寺の伽藍跡が史跡公園として広がっており、その一画に弘福寺がある。
ご不在の場合があるかもしれないので、連絡してからうかがう方がよい。
なお、向かい合うようにして、南側の高台には橘寺が建っている。
拝観料
300円
お寺や仏像のいわれなど
川原寺は、その創建の事情こそ不明なところがあるものの、平城遷都以前は四大寺のひとつに数えられたほどの寺である。かつては、一塔二金堂と中心部は変則的な配置で、南大門、中門、講堂、そのまわり三面に僧坊を備えた大寺院であったことが発掘調査より判明している。
しかし、他の3つの大寺、すなわち大官大寺(大安寺)、薬師寺、法興寺(元興寺)がのちの奈良の都へと移されたのに対し、川原寺のみなぜか移転をすることなく飛鳥の地にとどまった。
その後も南都七大寺のひとつに数えられたこともあるが、次第に衰亡を余儀なくされる。
9世紀に火災にあい、その際は聖宝(しょうぼう、醍醐寺を創建するなど活躍した真言僧)によって再興されたが、さらに12世紀末、16世紀前半にも焼け、今はその法灯をつぐ小寺院・弘福寺がかつての川原寺中金堂跡に建てられている。
拝観の環境
弘福寺の本堂内、左右に平安時代前期時代の二天像が安置される。
像高は2メートル近くあり、こじんまりとしたお堂の中で窮屈そうに見える。
ライトもあり、近くよりよく拝観できる。
仏像の印象
お寺では向かって左の像を持国天、向かって右の像を多聞天像と称している。もとは四天王像で、そのうちの2躰が残ったのかもしれない。
堂々として威厳に満ちた像である。
足下の邪鬼までを一木より彫成する。しかし朽損がかなり進み、特に多聞天像ではそれが全身に及んでいる。両手などは後補である。顔のみつるりときれいであるのは、木屎(こくそ)漆(漆に植物の繊維を混ぜてペースト状にしたもの)によって補修しているためらしい。
顔は小さく、体つきは堂々としている。首はほとんどあらわさない。腰をややひねって片足を遊ばせるが、それ以外はあまり激しいポーズはとらず、安定感がある。忿怒の表情の顔立ちもそれほど誇張を見せず、むしろ落ち着きが感じられる。目鼻立ちは中央に集まっている印象。
全体の雰囲気が弘仁寺の四天王像中の2躰に似るが、鎧の模様など、本像の方がていねいにつくりこんでいるように思える。
制作年代としては、9世紀後半、この寺を再興した聖宝が丈六十一面観音像を造立した(現存せず)という記録があり、二天像もこの時のものである可能性が考えられる。
さらに知りたい時は…
『飛鳥の寺』(『日本の古寺美術』14)、大脇潔、保育社、1989年