安産寺の地蔵菩薩像

  毎月9日などに開扉

住所

宇陀市室生町三本松

 

 

訪問日 

2009年8月9日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

宇陀市ホームページ・観光スッポト情報

 

 

 

拝観までの道

交通は近鉄の三本松駅下車、西へ徒歩6〜7分。改札を出て右へ向うと随所に道しるべが出ていて、迷わず着くことができる。

常住の住職さんはいず、この地域(中村)の方が管理をされている。

開扉日は毎月9日の午前9時〜12時および1月24日(午前・午後)と8月第4日曜日(午後〜夕)。それ以外の日でも事前予約によって拝観可能。

問い合わせは、宇陀市の室生地域事務所(電話0745-92-2001)へ。

 

 

拝観料

志納

 

 

お寺や仏像のいわれ

このお寺の本尊地蔵菩薩像は、いつの時代か、近くの宇陀川を流れて来たと伝える。

村人が引き上げ、安置場所を求めて運んだところ、現在の場所でどうしても動かすことができなくなり、仏の意志と考えてここにお堂をつくってまつったという。

かつては新堂、あるいは子安地蔵堂といったそうだ。

その後近代初期に廃寺となった近くの正福寺の仏像もあわせてまつることになり、安産寺と名乗った。

 

この像はもと室生寺にあったのではないかという指摘が、20世紀半ばからあった。その説は現在では広く認められている。

室生寺金堂には伝釈迦如来像を中尊として、文殊菩薩、地蔵菩薩、薬師如来、十一面観音の木彫の平安仏(すべて立像)がずらりと並ぶが、そのうちの地蔵菩薩像は光背と高さが合わない。かわりにこの安産寺の地蔵菩薩像と合わせてみるならば、その光背と大きさがぴったりと合う。かつ中尊の伝釈迦如来像と衣文の様子など、様式や構造が近いというのが主たる理由である。

伝承のように本当に川を流れて来たということはいくらなんでもないと思うが、何らかの事情で室生寺を出て、この村にまつられることになったのであろう。

像内におさめられていた修理木札には「新堂地蔵菩薩」とあり、1688年の年とこの地すなわち中村の人々の名が記されていることから、少なくとも江戸時代前期にはこの地でまつられていたことがわかる。

 

 

拝観の環境

地蔵菩薩像は本堂奥の収蔵庫に安置されている。照明もあり、間近で、また側面からもよく拝観できる。

 

 

仏像の印象

像高は180センチ弱。カヤの一木造である。

顔はややエキゾチックな感じで、個性的である。まぶた、まなじり、頬、また横から見た時の唇や鼻筋は微妙な曲線で形づくられている。目は切れ長。あごは小さい。

肩はがっしりしているが、前からの全体的な印象は細身である。しかし、横から見た胸の様子は実にどっしりしている。腰はしっかりとくびれ、太ももは強く前に出る。両足の間は深くくぼんでいるが、前から風を受けている表現であろうか。体の横に下がる衣も自然に後ろへとなびいている。

 

衣の襞(ひだ)はしのぎ立っていて、強いが太くはない波が細かく刻まれる。肉眼ではほとんど見えないが、もとはこの襞の山に切り金がほどこされていたらしい。また、よく見るとその山はやや大きいものの間に小さなものを2本入れるといった規則性がある。

その他、右腕に衣の一部が細く回っている様子はおもしろい。

また、足には沓をはく。沓をはいた地蔵像は類例がないわけではないが、比較的珍しい。

 

 

その他

旧正福寺の仏像である近世の小仏像数躰はお堂内に安置され、こちらもお願いすれば拝観できる。

 

 

さらに知りたい時は…

『週刊朝日百科 日本の国宝』060、朝日新聞社、1998年

『大和古寺の仏たち』(展覧会図録)、東京国立博物館、1993年

『室生寺』(『日本の古寺美術』13)、鷲塚泰光、1991年

『大和古寺大観6 室生寺』、岩波書店、1976年

 

 

仏像探訪記/奈良県