大野寺の弥勒磨崖仏

  鎌倉時代を代表する線刻磨崖仏像

住所

宇陀市室生大野1680

 

 

訪問日 

2011年4月17日、 2011年8月8日

 

 

 

拝観までの道

大野寺(おおのでら)は、近鉄大阪線の室生口大野駅で下車、南へ徒歩約5分。

門前に室生寺行きの奈良交通バスの停留所(「大野寺前」)があり、室生寺を訪れる前後に寄ると便利。

 

 

拝観料

入山料300円

 

 

お寺や仏像のいわれなど

かつては室生寺同様興福寺の支配下にあったが、現在は真言宗室生寺派に属する。

役行者の草創である等伝えられるが、不詳。

このお寺の東側、宇陀川をはさんだ向い側の崖に大きな弥勒磨崖仏が彫られており、もともとはその拝所として成立したのがはじまりであるのかもしれない。

 

 

拝観の環境

お寺の境内から道と川をはさんで、大きな弥勒の線刻磨崖仏が見える。

境内に設けられた「遥拝所」がちょうど正面の位置になる。もっとも、寺の境内からでなくとも道からでも見えるのだが。

 

この磨崖仏は線刻である。線刻は、肉厚につくられた石仏と比べると、陰影がない分どうしても印象がつかみにくい。

しかし、線刻の仏像は意外にも手間のかかる技法なのである。線刻像をつくるためには、まず丁寧に岩を平らにする工程が必要となる。この仏像の場合も、記録によれば、岩を平らに削る期間の方が、そこに実際に線で仏像を彫る時間によりも長くかかっているらしい。

 

しかしながら線彫りの仏像は遠くからではどうしても見えにくい。以前は苔類がつくなどして、現在よりさらに見えにくかったが、1993年から1999年にかけて修復と保存処理がおこなわれた。

表面をきれいにし、崩れかかった場所に樹脂を注入したほか、地下水が仏像表面に流れ出て来ないよう内部の水の流れを変えるといったかなり大がかりな作業を行った結果、見違えるように像容が分かるようになった。

そうはいっても、像までは距離があるので、双眼鏡があるとよい。

また、像は西面しているので、晴天の午後、後半の時間帯がよい。次第に太陽の位置が変わって、像に光が指していく様子をしばし眺めるというのも、時間の贅沢な使い方のように思う。

 

 

仏像の印象

鎌倉時代前期の作。高さは10メートルを越える。

 

この弥勒磨崖仏は、笠置寺の本尊として笠置の山中に彫られた弥勒像の模刻と考えられている。

笠置寺の弥勒像は古代につくられが、鎌倉末期の火災で光背の形の彫り込みが残るばかりとなっている。しかしその像の姿は絵画(大和文華館蔵「笠置曼荼羅」)や図像集の中に残されていて、大野寺の弥勒磨崖仏とはいくつかの異同があるものの、ほぼ同様の姿である。

 

本寺の弥勒像は、史料によれば13世紀初頭に興福寺大僧正雅縁(がえん)の発願、後鳥羽上皇臨席のもと、浄瑠璃寺の瞻空(せんくう)上人を導師として開眼供養が行われたことがわかっている。大野寺に伝わる縁起によれば、この時後鳥羽上皇は自分や他の結縁者の名前を記した願文を像の中に納めたとある。はるかなる弥勒下生のその時まで保存されることを願って、ここに籠めたのであろう。20世紀前半、像の胸や腹に設けられた穴から巻物が見つか取り出されたが、朽損著しく開くことができず、また元に納めたそうだ。

 

こうした並々ならぬ由緒をもつ像であるが、明るく親しみを感じる像である。

顔は小さく、体は大きい。また、顔にくらべて頭頂部の盛り上がりが顕著で、螺髪の粒もとても大きい。目は優しげであり、左の腕の衣の線や手首をひねりながら指を下に向ける左手の様子は優美に感じる。左手を胸のあたりに上げ、右手を下げているのは、通常の仏像の印相とは逆の「逆手」であり、珍しい。これはもとになった笠置の弥勒像から受け継いだものである。

腕から下がる衣は風になびいているが、その表現はややぎこちない。股間の線の様子もそうである。元になった笠置の石仏が鎌倉期にはすでに風化するなど、細部をどう表わすか難しかったためでもあろうか。

足元の蓮華座は左右に分かれる、いわゆるふみ割り蓮華座である。

 

なお、像の向って左下には、円形に彫られているものが見える。これは「尊勝曼荼羅」といい、円の中央に大日如来、その周囲に諸仏の種子を配したものである。

 

 

本堂の地蔵菩薩像について

大野寺本堂内、向って右側には鎌倉時代の地蔵菩薩像が安置されている。

お願いすると拝観できる。

ただし、人出の多い枝垂れ桜の開花期には本堂拝観は不可となる。大野寺の枝垂れ桜はたいへんみごとなのだが、仏像拝観を第一とするならば、その時期は避ける方がよい。

 

像高は約80センチの立像。寄木造、玉眼。

写真と実物の印象が異なる仏像は多いが、この仏像もそうである。事前に見た写真ではどことなく全体的に鈍い感じがしていたが、実際にはシャープな印象の像である。

頭部はやや大きめで、なで肩なのが、やや童子の姿のようにも感じないでもないが、目は鎌倉彫刻らしい鋭い曲線で彫られ、ほおの肉づきも自然で、なかなか若々しい力強さがある。体躯はそれほど厚みは感じられないものの、衣の襞(ひだ)は深くかつ自然な感じである。

 

 

その他1

このほか、大野寺境内には高さ1メートルほどの線刻磨崖仏の不動尊像がある。墓地の中のため、お寺の方に断って拝観すること。

 

 

その他2

笠置寺の磨崖仏の模刻像には、この大野寺の磨崖仏のほか、「みろくの辻磨崖仏」がある。京都府木津川市の当尾石仏群のひとつ(岩船寺の南側)で、1274年、伊末行の作である。

 → 当尾の石仏の項も参照してください。

 

 

さらに知りたい時は…

『大和 地蔵十福』(パンフレット)、飛鳥園、2012年

「大和の線刻磨崖仏ー大野寺石仏を中心に」(『近畿文化』607)、藤澤典彦、2000年6月

『週刊朝日百科 日本の国宝』060、朝日新聞社、1998年4月

『弥勒像』(『日本の美術』316)、伊東史朗、至文堂、1992年9月

『室生村史』、室生村役場、1966年

「大野寺と石仏」(『近畿日本叢書 室生寺』)、川勝政太郎、近畿日本鉄道株式会社、1963年

 

 

仏像探訪記/奈良県