大日寺の五智如来像
平安後期の優美な五仏
住所
吉野町吉野山2357
訪問日
2007年10月7日
拝観までの道
近鉄の終点吉野駅からロープウェイで吉野山駅へ。そこから金峯山寺の脇を通って20分ほど行くと、右手に勝手神社がある。金峯山寺付近は大賑わいだが、このあたりまで来ると観光客も少なくなってくる。
勝手神社の手前を右に折れ、すぐ右の狭い下り坂の道に入ると、やがて大日寺に着く。
たいていは開いているが、時に留守にすることもあるとのこと。連絡してからうかがうのが望ましいと思われる。
拝観料
400円
寺や仏像のいわれなど
寺伝によると、その前身は役行者の弟子が開いた日雄寺で、この寺が室町時代に焼失したのち近くに建立されたのが大日寺という。この寺もおそらくは金峯山寺に属す修験道の寺院であったのだろうが、現在は真言宗である。
門を入って正面のお堂に平安時代後期の五智如来像が安置されている。日雄寺の旧仏と伝える。
拝観の環境
像への距離が少々遠く、低い位置に安置されていることもあり、やや拝観しづらいのが残念である。
仏像の印象
大日如来を中心に、その周囲に四仏を配する五智如来が当初のままに揃っている例は少なく、この大日寺の像は貴重な遺作である。金箔も部分的にだが残り、また光背も美しい。
中央の大日如来像は、智拳印を結ぶ金剛界の大日如来である。像高約1メートル、当時の貴族が好んだであろう、優美で落ち着きのある像である。そのまわりの四仏は像高50センチほどのほぼ同じ像容を示す小像で、落ち着いたおとなしい感じの像である。
その他(五智如来像の姿について)
金剛界曼荼羅の中心部分を構成しているのが、金剛界三十七尊である。三十七尊は、5つの如来と32の菩薩からなるが、この5つの如来を五智如来(五仏)という。中央に大日、東に阿しゅく、南に宝生、西に阿弥陀(無量寿)、北に不空成就の各如来である。その姿は、空海によって唐よりもたらされた曼荼羅図を根本とし、彫刻としては空海自身が指揮して造らせた東寺講堂の五智如来像(ただし室町時代に焼失し、現在のものはその後の再興像)や、高野山金剛峯寺の金剛三昧院多宝塔像(鎌倉前期)などが典型例である。
しかしながら、大日寺の五智如来像のうち大日以外の四仏は、衣や結んだ印の形が必ずしも密教のきまりごとに忠実でない。こうした傾向は同時期の五智如来像である岡山・遍明院像、愛媛・太山寺像にもいえる。
大日寺の四仏は、阿弥陀如来のほかは、阿しゅく如来とされている像は実は薬師、宝生如来は弥勒、不空成就如来は釈迦ではないかという。密教導入以前から塔の四方に安置されていた顕教の四仏が大日如来とともにセットとされているわけで、面白い現象である。
さらに知りたい時は…
「顕密融合の両界曼荼羅五仏像について」(『Museum』615)、冨島義幸、2008年8月
『大日如来像』(『日本の美術』374)、山本勉、至文堂、1997年