不動院(外山区)の不動明王像
平安後期の優美な明王像
住所
桜井市外山878
訪問日
2011年11月27日
拝観までの道
不動院は近鉄、JRの桜井駅の東、国道165号(初瀬街道)沿いにある。
桜井駅南口から「大宇陀」行き(71系統)奈良交通バスの「外山」下車。北側にすぐ。本数は少ない。
→ 奈良交通バス
徒歩では、桜井駅南口またはひとつ先の近鉄線大和朝倉駅下車、徒歩各20分くらい。
拝観は事前申し込み必要。
*知人からの情報によれば現在は拝観を受け付けておらず、1月1日〜3日と毎月28日に開扉されているとのこと(2020年1月)。
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれなど
不動院のある地区は外山区という。外山と書いて「とび」と読む。能の歴史で外山座(宝生流のもとになった猿楽能の一座)というのが出てくるが、その外山はここのことらしい。
この地区の南側に標高250メートルほどの鳥見山(とびやま)があり、それが変化してできた地名と思われる。
不動院の由来は詳らかでない。
伝来する仏像から推して、相当の由緒をもったお寺であったのだろうが、残念ながらその歴史は模糊としてわからない。すぐ南にある宗像神社(鳥見山の北麓にたっている)とは関係が深かったらしいが、この神社は南北朝の戦乱で焼かれ、以後衰えたので、それにともなって不動院もまた衰退したのかもしれない。
以後村で小堂を構え、本尊を大切に守り伝えて来たそうで、現在も像は地区全体の所蔵なのだそうだ。
拝観の環境
本尊は本堂中央の厨子内に安置され、近くより、よく拝観させていただけた。
仏像の印象
不動明王像は、像高約85センチの坐像。ヒノキの寄木造。平安時代後期の上品で気高さを感じる仏像である。
不動明王を日本ではじめて造立したのは空海である。その像容は、東寺講堂の五大明王中の不動明王像に見られる姿、すなわち髪は向って左から右へとくしけずり、向って右側に束ねて垂らす。頭頂部に蓮華を置く(東寺講堂像では亡失)、両目は見開き、上の歯で下唇を噛む。恐ろしい形相であるが、どことなく気品がある姿で、「大師様」と呼ばれることがある。
一方、9世紀の末、天台僧の安然(あんねん)が「十九観」に基づく不動像を提唱する。これは「諸相不備」、すなわちわざわざ整っていない姿で不動像を表わすというもので、特色としては巻き毛、花のようにまげを結う、左目をすがめ、左右の牙を上下互い違いに出すなどがある。左右の目と牙が左右対称を崩し、目や顎のゆがみが強調される。
本来不動は「不動使者」ともいい、大日如来によって使われるものであった。向って右側に垂らす髪は、インドでは奴隷であることを示し、もともと低い尊格であったことを伝えるものである。「十九観」にある整わぬ顔立ちもまた、不動明王の元来の性質を表現している。
外山区・不動院の不動明王像も、この「十九観」にほぼ基づいてつくられている。ほぼと書いたのは、髪が向って左から右へとくしけずられていて、これは「大師様」の不動像の方に当てはまる。しかしその他は、左目をつぶる、牙を互い違いに出すといった「十九観」の不動像の特色を示している。
しかし、それにもかかわらず、この像からは醜さという要素はまったく感じられない。むしろ上品で優美である。怒りの表情、ゆがめた顔つきにもかかわらず、落ち着いていて、高貴さを感じさせる。四角張った体つきだが、姿勢よく、衣の流れも美しい。
「王朝の美意識」というものであろう。平安時代後期の貴族たちは、みにくく歪んでいるはずの十九観の不動明王であっても、これほどまでに優美な像としてつくりあげたのである。
指先の一部や持物など後補だが、保存状態はたいへんよい。光背、台座も一部後補部分があるが、基本的に当初のものだそうで、貴重である。
その他(報恩寺の阿弥陀如来像について)
すぐ北西にある報恩寺の本尊、阿弥陀如来像は像高2メートルを越える丈六坐像で、平安後期の作。
筆者が訪れたときには修復中ということだったが、その後修復を終え、2015年秋からやはり修復を終えた本堂に戻って来られた。
拝観は事前連絡必要。
さらに知りたい時は…
『明王 怒りと慈しみの仏』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2000年
『月刊文化財』297、1988年6月
『奈良県指定文化財 昭和52年版』、奈良県教育委員会、1980年