頭塔

  奈良時代の石仏を安置

住所

奈良市高畑町921

 

 

訪問日 

2011年1月9日

 

 

 

見学までの道

頭塔(ずとう)は近鉄奈良駅から東南に徒歩約25分、東大寺南大門からはほぼ真南に徒歩約20分のところにある。

奈良交通バスの市内循環で「破石町(わりいしちょう)」下車。

入口は南側にある。その斜め前の仲村表具店が管理を委託されている。

見学は事前申し込み制。

 

奈良県ホームページ・史跡頭塔

 

 

見学料

300円

 

 

頭塔のいわれ

こんもりと木が茂った小山で、古い石仏がある不思議な場所、頭塔。

1970年代より小規模な発掘がはじまり、1980年代から本格的な調査がなされた。それを踏まえて復元整備が行われ、2000年に今日見る形で公開された。

 

頭塔は、「土塔」の音が変化したものらしい。では土塔とは何かというと、土と石で階段状に積み上げられた仏塔のことである。非常に珍しく、国内には堺市と岡山県に類例があるという。

記録によると、東大寺初代の良弁の弟子、実忠によって築かれたものである。

一辺32メートルの基壇の上の7段の石積みからなり、高さは約10メートルになる。

最上段に設けられた尖塔部分に雷が落ちて炎上したり、興福寺の子院に属したり、奈良時代の僧玄昉(げんぼう)の首塚であるという言い伝えが生まれたり、日蓮宗寺院に譲渡されたりといった様々な変遷があり、その間当初の石積みは失われて小山のようになった。

 

発掘調査で、この場所にはもとは横穴式石室をもった古墳があり、それを壊して造られていること、最初の土塔は現状より小規模につくられ、その後あまり時期を経ずしてその上にかぶせるようにして現在の頭塔がつくられたことがわかった。なぜこの場所に、何のために、なぜ最初の頭塔の上に、またこのような特異な形の仏塔はその源流がどこにあるのかなど、古代のロマンをかきたてる。

 

 

頭塔の石仏

頭塔には奈良時代の浮き彫りの石仏が13体あることが知られていたが、発掘によって新たに14体が発見された。段々になった構造、1段おきに整然と石仏を配置した様子が明らかになり、おそらくもとは44体の石仏が並んでいたものと推定されるに至った。

松浦正昭氏の論考によれば、北面中央は弥勒五尊像、西面中央は阿弥陀仏浄土、南面中央は釈迦五尊像、東面中央は多宝仏浄土で、華厳経の善財童子の求道、維摩経の維摩と文殊菩薩の対論など経典の中のストーリーの一部を石彫であらわしたものを織り交ぜつつ、最上段の盧舎那仏浄土へと仏の世界が収斂されていくように配置されているという。つまり、蓮弁に描かれたあらゆる世界を統合するものとして座す東大寺大仏(盧舎那仏)と同じ思想によって、頭塔もまたつくられているのである。

 

日本の石仏の多くは近世のものであり、中世でよく姿をとどめているものは少なく、ましてや奈良時代までさかのぼれる石仏は数少ない。頭塔の石仏はその貴重な遺例であり、特に最下段の数個はかなり近い距離からよく見ることが可能である。

やや豊満だが、自然なプロポーションと姿勢の石仏は、いかにも唐時代美術の影響を受けた優品である。

 

 

頭塔の復元と見学路について

頭塔はまた、遺跡をどのように保存し、公開するべきかという点においても、モデルケースとなっている。

長く「頭塔の森」として親しまれてきたものを、すべて木を伐って復元するというのは地元の理解が得られないとして、南側は森の姿を残し、北側を復元した。

周りにデッキ式の回廊をめぐらし見学路としているが、これは見学者への便宜と同時に奈良朝の石仏という貴重な遺産を守るための措置でもある。心ない見学者が頭塔に登ったり、石仏にさわったり、甚だしくは拓本をとったりという行為をさせないなんらかの策は必要である。かといって、高い塀で仕切ってしまえば、よく見ることが難しくなる。この問題の解決のために採用されたのが、柵は低いが、空中に浮いているようなデッキ式の回廊なのである。

 

なお、本来は瓦屋根をのせていたらしいが、これは復元されていない。石仏の上にだけ屋根が取り付けられているが、これは石仏の保護のため。頂上には五輪塔が据えられているが、これは発掘前から置かれていた近世のもの。

 

 

その他

大和郡山市にある郡山城の石垣はさまざまな石材が転用されているが、その中に頭塔の石仏がある。五尊が浮き彫りされた石仏で、 本来頭塔の第7段(最上段)の東面にあった「盧舎那仏浄土」をあらわした石仏と考えられている。郡山市の指定文化財となっているが、堀に近い最下段にあるため見学は難しいそうだ。

→ 大和郡山市・五尊石仏

 

 

さらに知りたい時は…『日本美術全集』3、小学館、2013年

「頭塔の系譜と造立事情」(『東大寺の歴史と教学 ザ・グレイトブッダシンポジウム論集1』)岩永省三、2003年

「頭塔と天平美術」(『近畿文化』642)、松浦正昭、2003年5月

『史跡頭塔復元整備報告』、奈良県教育委員会事務局文化財保存課、2001年

『史跡頭塔発掘調査報告』、奈良国立文化財研究所、2001年

「整備・復元された奈良の頭塔」(『史迹と美術』698)、東瞕、1999年9月

「頭塔石仏の図像的考察」(『国華』1215)、松浦正昭、1997年2月

 

 

仏像探訪記/奈良市