西方寺の阿弥陀如来像、祐全像

  「南都総墓所」の本尊と中興の上人の肖像

住所

奈良市油阪町433



訪問日 

2014年10月5日


 


拝観までの道

近鉄奈良駅より西へ徒歩5分。国道369号線沿い、油阪交差点の手前、北側にある。JR奈良駅からだと東口より北東へ10分弱。

拝観は事前連絡必要。



拝観料

拝観料の設定は特になかった。



お寺や仏像のいわれなど

このお寺は浄土宗の古刹であるが、「南都総墓所」ともいわれる。そのいわれは、正親町天皇より宗派にかかわらず万人を済度せよとの綸旨を受けたことによるという。

もとは東大寺の末寺で多聞山(近鉄奈良駅の北1キロ余りのところ、今は中学校になっている)にあり、戦国武将の松永久秀がここに城を築くことになって現在地に移ったという。

この移転の際に尽力したのが東大寺勧進所の祐全上人であったことから、本寺の中興の祖と呼ばれている。



拝観の環境

本堂本尊は平安時代後期の阿弥陀如来像。また、中興の祖とされる祐全上人の像が階段を上がった位牌堂内、厨子中に安置されている。

どちらも近くよりよく拝観させていただけた。



本堂の仏像

本堂壇上に安置される平安時代後期作の阿弥陀如来像は、像高約90センチの坐像。寄木造、彫眼。

美しく整えられた螺髪の粒、丸い顔、長く引かれた眉、小さめの鼻口。全体的に親しみやすい雰囲気の像である。

手は定印、足は右を上にして組む。

左右の脇侍は玉眼で、あとの時代に補われたもの。鎌倉時代中期頃ではないかとのこと。



祐全上人像について

祐全上人像は像高約80センチの坐像。寄木造、玉眼。

つくられたのは戦国時代の1556年。寿像、つまり上人が生きているうちにその姿を写した肖像彫刻である。

作者は宿院仏師の源次と子の源四郎、源五郎。宿院仏師による肖像彫刻として大変珍しい作例といえる。

銘記のほか、像内には歯や骨も納入されていたということで、おそらく祐全上人のものが追納されたのであろう。

もと東大寺念仏堂にあり、江戸時代に移されてきたものだという。鮮やかな彩色が残るが、それも江戸期に補われたものである。


頭部はややうつむき加減にして、合掌する。姿勢や脚部の高低などが自然にあらわされる。おだやかな顔つきで、へこんだこめかみから豊かなほおへのラインやゆったりと広い肩など、生き生きとした姿のお像である。



さらに知りたい時は…

『宿院仏師』(展覧会図録)、奈良国立博物館、 2005年

『仏像めぐりの旅』2、毎日新聞社、1992年

「祐全と琳賢」(『南都仏教』43・44)、河原由雄、1980年



仏像探訪記/奈良市

阿弥陀如来像
阿弥陀如来像