東大寺開山堂の良弁僧正像
年に1日、12月16日に開扉
住所
奈良市雑司町406−1
訪問日
2007年12月16日、 2018年12月16日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
大仏殿の東にある高台にたつお堂。四月堂の北側。三月堂の向かい側(西側)。
近鉄奈良駅から徒歩で25分くらい。
年に1度、12月16日の10時ごろから16時ごろまで開扉される。
拝観料
600円
お堂のいわれなど
東大寺は「四聖(ししょう)建立の寺」と呼ばれることがある。
四聖とは、大仏造立の詔を発した聖武天皇、大仏造立のために活躍した行基、大仏の開眼を行った渡来僧菩提僊那(婆羅門僧正)、そして東大寺初代別当(初代住職)で、根本僧正とも呼ばれる良弁(ろうべん)である。
良弁はおそらく大仏以前、つまり東大寺の前身の寺院の時代から奈良時代後期の773年に没するまで、一貫してこの寺の造営・経営の中心にあった。奈良時代の権力闘争は凄まじく、仏教界も無縁ではいられなかったが、良弁は常に権力中枢と安定した関係を保った。なみなみならぬ手腕の持ち主であったのであろう。
東大寺開山堂は彼の肖像をまつるお堂で、1年に1日だけ開帳される。小さなお堂なので、列ができる。
この12月16日は良弁忌あるいは開山忌といい、いわば良弁僧正の法事の日である。そのはじまりは彼の死後250年ほどたった平安時代中期、11世紀前半にあるという。おそらく開山堂の創建もその時と思われる。お堂は1180年の平氏による南都焼打ちでは火にかからなかったものの、重源による復興の際に改築された。改築といってもほとんど再建のレベルであったらしく、重源が中国・宋からもたらした新様式(大仏様)で建てられている。東大寺南大門や鐘楼のようにダイナミックな建築に仕上がる様式であるが、このような小さなお堂にも用いられたのは面白い。建築史上極めて貴重な遺作である。
さて、そのお堂の小ささについてであるが、開山堂はもともと1間四方のお堂として建てられていた。1間というのは柱と柱の間がひとつだけという意味で、まさに最小である。その中いっぱいに建物と同じ鎌倉時代のものと思われる須弥壇と厨子が置かれ、厨子中に良弁像が安置されている。
この堂はかつては別の場所にあったという。13世紀なかばに現在地に移転し、その際1間のお堂を内陣として、外陣(げじん)部分を加えたので、現在は3間四方の建物になっている。この外陣部分は和様という伝統的な作り方によっている。
拝観の環境
すぐ間近に寄れ、堂内は明るく、よく拝観することができる。
仏像の印象など
良弁像は像高約92センチの坐像。ヒノキの一木造で、内ぐりも施されていないという。秘仏のように扱われてきたため、当初の彩色が極めてよく残り、衣の赤や緑が美しい。
しっかりと前を見据える顔つきは強い意志を感じさせる。体や膝もがっしりとつくられている。胸の前で大きく衣がうねって裏を見せているところ、腹部や腕の衣の細かな襞(ひだ)の表現、そして脚部の襞のふしぎな曲線の連なりは強いインパクトを与える。
正面からのみの拝観なので背面は見えないが、写真で見ると背中の衣(模様を施した袈裟と赤い衣)の重なり合いと襞の力強い波はなかなかのものである。
手には如意という杖をもっているが、これは良弁が実際に使用していたものと寺では伝えている。
良弁像の造像年代はいつであろうか。素直に考えるならば、良弁忌がはじまった11世紀前半となろう。この説は現在のところ最も有力で、像も平安中期らしい誇張を避けた穏やかな作風であり矛盾はないと説く。
一方、鋭く彫られた衣の襞の曲線などに平安前期彫刻の厳しい作風が見て取れるとして、時代をさかのぼらせて9世紀の作と考える説もある。
見方によって像の印象が穏やかとも、厳しいともとれるというのは面白い。これは像の中に様々な要素が共存し調和しているからで、それはとにもなおさず非常に優れた造形であることの証左である。また、他の彫刻と簡単には比べにくい個性的な像であるということから、造像年代の説が定まりにくいということも言えるであろう。
このほか、良弁の没後まもなくその面影を知る人たちによって造像されたと考える説もある(この説では奈良時代末期となる)。
その他1
この像(というかこのお堂)は西向きで、このため「良弁さんは常に大仏殿を見守っている」といわれることがあるそうだ。しかし、本来は東向きで、今の向きになったのは近世らしい。本尊の向きを変え、堂の正面を変更するというのはなかなか大胆であるが、なぜそうしたのかは今となってはわからない。
本来の正面であった東側(三月堂や二月堂に向いている側)には近世作の実忠和尚像が安置されている。実忠は良弁の弟子で、二月堂の開山である。
その他2
良弁は子どもの時鷲にさらわれ、義淵僧正に育てられたという伝説がある。この話は広く人口に膾炙し、母親と再会する場面をクライマックスとする人形浄瑠璃や歌舞伎が現代でも上演されている。
さらに知りたい時は…
『日本中世肖像彫刻史研究』、根立研介、中央公論美術出版、2022年
『東大寺の美術と考古』(『東大寺の新研究』1)、法蔵館、2016年
『東大寺大仏』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2010年
『東大寺ー美術研究のあゆみ』、大橋一章・斎藤理恵子 編、里文出版、2003年
『東大寺のすべて』(展覧会図録)、奈良国立博物館・東大寺・朝日新聞社、2002年
『奈良六大寺大観 補訂版 10(東大寺2)』、岩波書店、2001年
『奈良六大寺大観 補訂版 9(東大寺1)』、岩波書店、2000年
「平安時代東大寺の造仏機構と工人・仏師」(『平安時代彫刻史の研究』名古屋大学出版会、2000年)、伊東史朗
「日本の古寺美術」6、保育社、1986年