東大寺念仏堂の地蔵菩薩像
やさしく、親しみを感じるお地蔵さま
住所
奈良市雑司町406−1
訪問日
2007年12月16日、 2018年12月16日
拝観までの道
東大寺大仏殿東側の石段を上ったところにある。
近鉄奈良駅から徒歩25分くらい。
お堂に向って左側に朱印の受付の場所があり、そこでお願いすると堂内にあがって参拝できる。
拝観料
志納
お堂のいわれなど
大仏殿と二月堂・三月堂などが建つ東側の丘の間に、ダイナミックに組み上げた鎌倉復興期の鐘楼が建つ。そのまわりにあるお堂が、行基堂、俊乗堂、念仏堂である。
なかでも念仏堂は、ゆるやかな勾配の屋根をもち、朱の柱と扉、黒い格子戸、白壁の美しい姿の建物である。鎌倉期の建築であるが、創建の由来は不明。本尊の地蔵菩薩像と同じ時期に建てられたと考えられている。なお、屋根は2段になっているが、これは近世の改変という。
このお堂の名前だが、江戸期の史料に地蔵堂と書かれたものがあり、もともとこう呼ばれていたのかもしれない。この堂の北西、現在俊乗堂がたつところに、かつて重源が建てた浄土堂が建っていた。浄土堂は念仏堂とも呼ばれたが、戦国時代の兵火で焼失、この時浄土堂の仏舎利などが地蔵堂に移されたという記録がある。こうした経緯から、現念仏堂が浄土堂の別称である念仏堂の名前を引き継いだのかもしれない。
拝観の環境
間近に、また側面からも拝観できる。
仏像の印象など
堂内は実にすっきりしていて、中央に鎌倉時代前期の大きな地蔵像が一体安置されているだけである(かつては脇侍として閻魔王像と泰山府君像が安置されていたが、現在は奈良国立博物館に寄託)。
地蔵菩薩像は、ヒノキの寄木造。像高2メートルを越える坐像である。左足を前に出し、しっかりと足を組んだ通常のスタイルを崩した、いわゆる安坐をしている。顔つきは優しく、親しみを感じる。側面からも、顔や前に出した左足先がなまめいて見える。頭や上半身の厚みは十分に取られ、堂々としている。これだけ大きな坐像でありながら、威圧感なく、よくまとめられているという印象である。
全体に保存状態はよい。光背・台座・持物は後補である。
像内背面と底板下面に墨書銘がある。それによると、作者は康清で、制作年は1237年、そして雲慶・康勝以下15人の冥福を祈る旨が記されている。銘には後の時代に書き加えられたのではないかと思われる部分も含まれるが、総じて内容は信じられる。雲慶は運慶のことであり、康勝はその4男で、有名な六波羅蜜寺の空也上人像の作者である。この2人の名前を特に記していることから、作者の康清は康勝の後継者(子どもか弟子)と考えてよいと思う。
なお、康清はこのほかに三十三間堂本尊の千手観音像造立に、運慶の長子湛慶のもと小仏師として参加したことが知られる。
その他
この地蔵菩薩像には、胎内仏として地蔵菩薩の小像が納められているということである。像高は15センチほどという。この像の存在は近世にはよく知られていたらしく、重源が所持していた(あるいは制作した)像であるとか、香木でつくられた地蔵で、遊女が身につけるために繰り返し小片を切り取るので泣いた(「夜泣き地蔵」)といった伝説がある。
さらに知りたい時は…
「鎌倉中期の東大寺と仏師」(『鎌倉時代の東大寺復興』、法蔵館、2007年)、奥健夫
『日本彫刻史基礎資料集成 造像銘記篇 鎌倉時代』5、中央公論美術出版、2007年
『誰も知らない東大寺』、筒井寛秀、小学館、2006年
『奈良六大寺大観 補訂版 11(東大寺3)』、岩波書店、2000年