東大寺南大門の石造獅子像
鎌倉復興期の石造彫刻
住所
奈良市雑司町406−1
訪問日
2011年9月18日、 2015年3月30日
拝観までの道
近鉄奈良駅から徒歩約20分。
拝観料
拝観自由
お寺や像のいわれなど
東大寺の正門にあたる南大門は鎌倉初期の再建で、門内安置の仁王像(金剛力士像)とも、1203年に完成したものである。
仁王像のあまりの雄大さに感嘆するあまり見落としてしまいがちなのだが、門の内部にはもう一対の彫像が安置されている。北側(大仏殿の側)に座る石造の獅子像である。この像も仁王像と同じく、東大寺の再興を指揮した俊乗坊重源のもとでつくられた。
東大寺の鎌倉期復興の立役者となった重源は宋に3度渡ったいい、東大寺再興という大事業にあたって、中国の工人の力を借り、また中国風の様式を採用したことが知られる。
大仏殿、南大門の再建には、中国伝来の新たな建築様式(大仏様、天竺様とも)を取り入れ、大仏再興には中国の工人、陳和卿(ちんなけい)を登用した。
南大門の仁王像は慶派による寄木造の作だが、像の姿や安置方法は他の多くの仁王像と似ない独特のものがあり、これも重源による中国風の導入と思われる。
また、大仏殿内部も、木彫で脇侍や四天王を置く一方で、さらに中国の工人に石彫の脇侍仏と四天王像をつくらせて安置したらしい。材質の異なる脇侍像、四天王像が2組あるという状況は不思議であるが、これは『東大寺造立供養記』や重源の『南無阿弥陀仏作善集』にも書かれていることである(醍醐寺に伝わる「東大寺大仏殿図」から読み取れるところでは、本尊と脇侍が安置された壇の周りを四天王がとりまき、さらにその外側、大仏殿の北側の壁に接して左右に石造脇侍像、建物の四隅に石造四天王像が置かれていたようだ)。また、これら史料によれば、大仏殿前の中門には石造の獅子を安置したとある。
残念なことに、大仏殿の石造彫刻は失われてしまったが、中門に置かれた獅子像だけは今日まで伝わり、南大門内に安置されている。
拝観の環境
門の北側(大仏殿の側)に、北向きに置かれている。
この位置はかつては吹き放しであったらしい。なぜ中門からこの場所に移動となったのかは不明だが、少なくとも15世紀半ばまでにここに移されてきていたようだ。現在は柵と金網で保護されている。
像の正面と側面(門の内側に面した側)から見ることができるが、正面からはやや見づらい。側面の格子の間から覗くようにすると、獅子の全身と台座を見ることができる。
像の印象
我々が見慣れた獅子・狛犬とはかなり違う特徴ある姿の獅子像で、異国的な雰囲気を強く感じさせる。前足を突っ張って、体を反り気味にしている姿勢はユーモラスでもある。
反り返る胸、口の開き、巻き毛のたてがみなど、いつまで見ていても見飽きない。顎から下がる毛や前足の横に盛り上がる毛の束、胸に巻いた装飾品など、細部も面白い。
ただし疑問点もある。まず、2躰はともに阿形であること。さらに、像高が揃っていないこと、作風が異なっているように見えることである。
像高は東側の像(東方像、吽形の仁王像の裏側にある)は約180センチ、西側の像は約160センチと、一具にしては差が大きい。
また、両像の作風だが、 一見それほど違いはないようにも思うが、よく見ていくとかなり異なっている。上半身の反り方、たてがみや尻尾の巻き方、口の開け方など、差異がある。
姿勢や毛の巻き方が力強いのは東方像の方で、より神秘的なおもむきがある。東方像がオリジナル、一方、西方像は東方像をお手本にしながらも、より安定感のある造形をめざした作といった解釈もありうるかもしれない。
台座は同形で、これまた異国風を感じさせる意匠である。
その他(仁王像について)
仁王像(金剛力士像)は、運慶、快慶、定覚、湛慶の4仏師を中心に造像されたもので、高さは8メールをこえる。
通常仁王像は外側を向くが、この像は門の中で互いに向き合うように安置される。また、一般に阿形像は向って右、吽形像が向って左に置かれるが、本像は逆になっている。
門の中はやや暗く、鳩よけの金網越しなので、あまりよく見えないのだが、毎年7月中旬から9月下旬にかけて行っている夕方のライトアップ時には、照明によって大変よく見ることができる。
さらに知りたい時は…
『寧波と宋風石造文化』、山川均 編、汲古書院、2012年
「重源と宋人石工」(『鎌倉時代の東大寺復興』、法蔵館、2007年)、山川均
『大勧進 重源』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2006年
『奈良六大寺大観(補訂版)』11、岩波書店、2000年
『週刊朝日百科 日本の国宝』053、朝日新聞社、1998年3月
『日本の古寺美術』7、保育社、1986年