東大寺三昧堂の十一面観音像
2013年より新たな本尊に
住所
奈良市雑司町406−1
訪問日
2013年10月27日、 2018年12月16日
拝観までの道
東大寺大仏殿の東側の高台に三昧堂(四月堂)というこじんまりしたお堂が建っている。法華堂(三月堂)の向い(西側)である。
近鉄奈良駅から徒歩約25分。
係の方がいらして、声をかけると堂内で参拝できる。
拝観料
志納
お堂や仏像のいわれなど
記録によれば、三昧(さんまい)堂は普賢菩薩を本尊として11世紀前半に建てられたお堂で、このため普賢堂とも呼ばれたらしい。現在の堂は江戸前期(17世紀後半)に鎌倉・室町時代の古材を用いつつ再建されたものという。
2013年に本尊が交代するまで、このお堂の本尊は千手観音像だった。像高は2メートル半以上もある一木造りの立像で、比較的小さなこの三昧堂では窮屈そうな印象だったが、この像ももとからの本尊ではなく、客仏として法華堂内に安置されていた千手観音像が近代になって移されてきたものであった。
2013年の5月から10月にかけて三昧堂の修繕が行われ、それを機会に千手観音像はお堂から出て修理が行われたのだが、その後も三昧堂には戻らず、東大寺ミュージアムの「本尊」として移動することになった。
かわって、三昧堂の本尊として、寺内の収蔵庫より十一面観音像が移されてきた。
拝観の環境
正面は像との距離がややあるが、堂内は明るく、よく拝観できる。斜めの位置からも見ることができる。
仏像の印象
新本尊となった十一面観音像は、近代初期の廃仏の時期に廃された奈良県内の寺院に伝わった像で、東大寺に来たのちは二月堂内に安置されていた。戦後はずっと収蔵庫内におさめられて、拝観の機会は少なかった。
像高は約175センチの立像。ヒノキの割矧(わりは)ぎ造。
等身大、細身の像で、旧本尊の千手観音像よりもひとまわりもふたまわりも小ぶりであり、比較的こじんまりしたお堂である三昧堂の本尊としてぴったりの印象である。
なで肩、胴を絞り、脚部もたいへん細く表現している。像も厚みも少なく、その分顔が前に出ているように感じる。頭部は小さく、伏し目がちで、あごも小さめ。正面に座って拝観させていただくと、慈悲の眼差しを向けてくださっているように感じる。
衣の襞(ひだ)は浅く刻まれ、裙の折り返しは衣が美しく折り畳まれて、装飾的である。裾は短めで、足首をわずかに見せる。
平安時代末期頃の作と思われる。
その他1
本像は、『奈良六大寺大観』(第10巻)の解説によれば、桃尾山寺(廃絶)の旧仏という。この桃尾山寺とは、天理市内にあった桃尾山龍福寺(近代の廃仏の時期に廃絶)のことであるともいう。
その他2(三昧堂の普賢菩薩像について)
三昧堂の本尊、十一面観音像に向って右側に、厨子に入って小さな普賢菩薩騎象像が安置されている。ヒノキの割矧ぎ造。像高は35センチ余の小さな像で、象座の上の蓮華座に座る。
厨子の中は光が届かないため、よく拝観することは難しいが、おとなしい平安後期時代の像である。
三昧堂の本来の本尊は普賢菩薩像だったとの伝えがあるが、この像が堂創建時の本尊であったかといえば、そこまでさかのぼるのは難しいようだ。補修も多く、蓮華座は後補、しかし象座(菩薩像本体に対してやや大きい)は古いという。あるいは象座のみ創建当初の遺品という可能性がある。
さらに知りたい時は…
『奈良六大寺大観 補訂版 10(東大寺2)』、岩波書店、2001年
『奈良六大寺大観 補訂版 11(東大寺3)』、岩波書店、2000年
『普賢菩薩像』(『日本の美術』310)、山本勉、至文堂、1992年