応現寺の不空羂索観音像
毎月第1日曜日に公開
住所
奈良市東鳴川町31
訪問日
2009年12月6日
拝観までの道
応現寺は奈良駅から東北東、奈良市東鳴川町にある。すぐ北は京都府で、岩船寺や浄瑠璃寺へも頑張れば歩ける距離である。
バスは、JR奈良駅または近鉄奈良駅から奈良交通バス広岡行きまたは下狭川行きに乗車。途中の「長尾町」バス停までは円成寺、柳生方面行きのバスと同じ国道369号線を走る。その後県道33号線に入り、「東鳴川」バス停で下車。ここまで20〜25分。ただしバスの本数は日中3本と少ない。
→ 奈良交通バス
バス停からバスの進行方向に200メートルほど行くと、案内板が出ているので、そこを右へ。かなり急な坂道を登って行くと、小さな本堂の裏手に出る。
普段無住で、毎月第1日曜日(9時から16時まで)に公開されている。
* 奈良市ホームページ・東鳴川町「木造不空羂索観音坐像」の公開
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれ
応現寺は阿弥陀仏を本尊とする浄土真宗寺院で、客仏として平安時代後期の不空羂索観音像がまつられている。
不空羂索観音像の伝来は明らかでないが、この近くに興福寺との関係があった善根寺というお寺があったといい、その寺の像であった可能性がある。
現在は、所有は東鳴川観音講、管理は奈良市となっているそうだ。
拝観の環境
お堂の中は明るく、よく拝観することができる。
仏像の印象
像高約90センチの坐像。ヒノキの割矧(わりは)ぎ造。3眼、8臂の不空羂索観音像である。額の3つめの目は浅く刻んでいる。
まげは低く結い、涼しげな目元、小さめの口で、やや茫洋とした表情の像である。
上半身は高く、胸は広々と、腹もゆったりとつくる。脚部はしっかり張って、安定感を出し、衣は浅く美しい襞(ひだ)を重ねて、心地よいリズムを生み出している。
不空羂索観音像は鹿の衣をまとってあらわされるということで、神鹿のいます春日神社への連想から、藤原氏の信仰が厚かった(逆にそれ以外への広まりがなかったともいえるが)。この像の肩にまとっている衣は布製品の柔らかさとは違うようで、これが皮の表現なのだと思われる。その先端は背中から腹に回って結んでいる。
台座は古いもののようだが、他の像からの転用である可能性がある。
その他
藤原氏が造立した不空羂索観音像としては興福寺南円堂の像が有名で、その模刻像が平安後期にいくつもつくられたことが記録にある。この応現寺の像も南円堂像の模刻と考えられる。
南円堂の不空羂索観音像は1180年の南都焼打ちで失われてしまい、現在は康慶作の再興像が安置されている。
本像は焼失前の南円堂像を彷彿とさせる貴重な作例である。
なお、やはり平安時代にさかのぼると思われる2躰の毘沙門天像もいっしょにまつられている。
さらに知りたい時は…
『なら仏像館 名品図録』、奈良国立博物館、2010年
『西国三十三所』(展覧会図録)、奈良国立博物館ほか、2008年
「不空羂索観音の鹿皮衣」(『平安彫刻史の研究』、名古屋大学出版会、2000年)、伊東史朗
『不空羂索・准胝観音像』(『日本の美術』382)、浅井和春、至文堂、1998年3月
『月刊文化財』273、1986年6月
「奈良・応現寺不空羂索観音菩薩坐像」(『MUSEUM』388)、山本勉、1983年7月