弘仁寺の四天王像
山辺の道の古刹
住所
奈良市虚空蔵町46
訪問日
2013年1月27日
拝観までの道
弘仁寺は、標高182メートルの虚空蔵山の中腹にあるお寺である。
交通は、JRまたは近鉄の奈良駅から米谷町行き奈良交通バスに乗車し、「高樋町」下車、南東に徒歩約5分。バス停の南側の橋を渡り、100メートルほど南へ、案内表示従って右折し、西へ300メートルほど行くと弘仁寺の山門に着く。ただしこのバスは本数が少ない。
西へ30〜35分ほどの「窪之庄南」というバス停(国道169号と弘仁寺の北側を通る県道187号との交差点の近く)は、奈良方面からのバスが比較的多く通っている。
→ 奈良交通バス
また、ここは山辺の道の北コースのルート中にあるらしく、ハイキングで立ち寄る人も多いようだ。
拝観には特に事前予約の必要はないそうだが、ご法事等でお寺の方の都合がつかない場合もあるそうなので、連絡をいれてからうかがう方がよいかもしれない。
拝観料
入山料として200円。本堂拝観は別に400円。
お寺や仏像のいわれなど
弘仁寺はその名の通り、平安時代前期の弘仁年間に創建されたお寺という。
江戸時代前期に中興され、本堂はこの時期の建立で、どっしりと趣きのある建物である。
真言宗寺院。
拝観の環境
堂内は暗いが、懐中電灯を貸していただける。
仏像の印象
本堂中央に秘仏本尊の虚空蔵菩薩立像がおさめられた厨子が置かれ、その左右に四天王像が2躰ずつ安置されている。
四天王像4躰のうち持国天像と増長天像が古く、平安前期から中期ごろの像である。邪鬼まで一木から彫りだされる。樹種はカツラ。像高は約165センチ。
両像は片手を挙げ、片手を腰にあてる。一方は口をあけて怒りを前面に出し、一方は閉じる。顔は小さく、逆に胴は長く、また腰高であるが、誇張は避け、安定感がある。忿怒像だが、落ち着いた雰囲気がある。
平安時代以後、こうした片手を挙げ、もう一方の手を腰に置き、それが持国天と増長天で左右相称形になっている姿の四天王像が一般的になるが、この弘仁寺の像はその早い作例と思われる。
9世紀から10世紀初頭にかけて活躍した真言宗の高僧、聖宝がこの寺を管理し、二天像を造立したとの史料があるが、本像はその二天像にあたる可能性がある。
一方、多聞天と広目天は、頭部は平安後期から鎌倉時代、体躯は江戸時代の補作。
その他の仏像
本堂の向って左側の間には、一木造りの天部立像(寺伝では帝釈天像)など数躰の仏像が安置されている。
天部立像は、像高約160センチ。ケヤキの一木造。手先、足先は後補だが、大きめな目鼻立ちや大きく2段に折り返した裙の整然とした襞が魅力的な古像である。
ほかに平安前期ごろの明星菩薩像(地蔵菩薩像として造立された像か)が伝来するが、奈良国立博物館に寄託されている。
さらに知りたい時は…
『日本美術全集』4、小学館、2014年
『月刊文化財』513、2006年6月
『奈良市の仏像』、奈良市教育委員会、1987年