大安寺の木彫群

  十一面観音像は春、馬頭観音像は秋に開帳

 

住所

奈良市大安寺2-18-1

 

 

訪問日 

2014年3月22日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

大安寺について・仏像を知る

 

 

 

拝観までの道

交通は、JRまたは近鉄奈良駅から白土町、シャープ前行きなどの奈良交通バスに乗車し、「大安寺」下車。西南に徒歩10分。随所に看板があり、道は分かりやすい。

 

このお寺には古代の木彫仏9躰が伝えられているが、そのうち本堂本尊の十一面観音像と嘶(いななき)堂本尊の馬頭観音像は秘仏で、公開時期が決まっている。

十一面観音像は、10~11月の2ヶ月間の公開。秘仏といっても本堂奥の御簾内にうっすらと見えるのだが、公開時期には御簾をあけるのだそうだ。ただし頭部が後補なのが惜しまれる。

馬頭観音像は毎年3月中の公開。

 

*2022年4月から約1年の予定で宝物殿の造改修工事を実施。詳しくは大安寺ホームページの「お知らせ」をご覧下さい。

 

 

拝観料

拝観料は普段は400円だが、秘仏公開時期は500円。

 

 

お寺や仏像のいわれなど

それまでの蘇我氏の飛鳥寺、聖徳太子の法隆寺などとは違い、天皇自らが発願し誕生した国家寺院の最初が百済大寺である。それが高市大寺、大官大寺と名前を変え、場所を移し、最終的には平城京の大安寺となった。

東大寺がつくられるまで、南都一の格と規模を誇った大安寺だが、その後次第に衰退。

ことに1018年の火災の被害は甚大であったようで、その後100年の長きにわたって再建事業が行われたものの、旧に復するところまではできなかったようである。

さらに中世に入るとその凋落は甚だしく、東大寺、興福寺、元興寺などの南都七大寺に数えられた寺院中でもっとも衰退した寺院となってしまった。

現在は旧境内地のごく一部にいくつかの堂塔が建つのみで、興福寺や東大寺などと違い鉄道駅からも遠いために、訪れる人も多くない。さびれたというと失礼だが、侘びた風情の趣きあるお寺である。

 

しかしこのお寺には9躰もの奈良時代後期の木彫仏が伝えられている。

この時代の木彫像としては、まず第一に唐招提寺木彫群(新宝蔵安置)があるが、それに次ぐものとして、大変貴重である。

 

 

拝観の環境

収蔵庫(宝物殿、讃仰堂)は境内の北東隅に建っている。正面の大きな扉は閉まっているが、横手から入場し拝観できる。この入場口(西側)から日が入ってくる晴天の日の午後が特におすすめである。

 

 

仏像の印象

収蔵庫には向かって左から増長天像、広目天像、聖観音像、不空羂索観音像、楊柳観音像、多聞天像、持国天像の計7躰が並んで、壮観である(呼称は寺伝による)。

すべて奈良時代後期、カヤの一木造で、雰囲気が共通するが、かつては非常に多くの堂塔が建ち並んでいた大安寺のこと、もともと一具として造像されたものではないと考えるべきであろう。

四天王像にしてみても、複数のお堂にあったものがいずれかの時期に一具とされたものなのかもしれない。

 

四天王像のうち最も動きのある姿勢を見せているのは多聞天像である。

右手を挙げて、左手は腰に。胴は絞り、腰をひねって、右足をうかせぎみにしている。兜をつけているが、なかなか格好がよい。鎧の細かい模様が緻密に彫られていて、いかにも当時の中国で流行した様式を受け継いだ像という印象がある。兜の頂上の模様もすばらしい(もちろん実際に見ることは不可能な位置で、写真で見る限りということなのだが)。

 

多聞天像についで体勢が魅力的な像は広目天像である。脇を強くしめている姿勢で、もともとは興福寺北円堂の持国天像のように腕を交差させていたのではないかとする推定もある。

それに対して持国天像と増長天像は立ち姿が生硬な印象がある。

像高はいずれも140センチ前後。

 

中央に本尊のようにして安置されて不空羂索観音像は、像高約190センチ。左右の楊柳観音像、聖観音像と比べて若干高いが、上半身を中心に堂々とした体躯のために、ひときわ大きな像であるように感じる。内ぐりもない古様なつくりで、どっしりとしている。左右に出ている手は体に似合わず小さめだが、それは後補のため。

腰も太く、裙の折り返しの下に別の布を短い前掛けのように巻いているのは面白い。顔だちはやさしい。

 

楊柳観音像は忿怒の顔がとても魅力的な像である。像高は約170センチ。

両眼をいからせ、口を開き、あごにも力がみなぎる。この口からあごにかけてが、若干正中線をはずしているためか、動きを感じる。

体つきはむしろ細身だが、胸のアクセサリー、胴にまわした石帯、腰紐とその上端に見える裙の端の巻かれた様子や、さらに下の衣の結び目などたいへん上品、かつ華麗で、当時の中国の流行を巧みに取り入れた像という印象である。

 

聖観音像は像高約180センチ。傷みが進んでいるために、茫洋とした表情に見える。肩幅を広くとり、上半身が大きい。裙は細かい彫りだが、これも傷みが進んでいて、やや痛々しい。

 

 

嘶堂の馬頭観音像について

筆者が訪問したのは3月だったので、馬頭観音像の拝観ができた。

像高170センチあまりの立像。他の像と同じくカヤの一木造だが、髪には乾漆を併用する。まげ、手などが後補。

 

本像は寺伝では馬頭観音というが、文化財の指定名称としては千手観音なのだそうだ。手が後補で、本来どのように腕がついていたか不明なこともあって、像名は確定できない。

忿怒の顔立ち、首飾りにからむ蛇、下肢にまとう獣皮など、非常に特異で、魅力に富む。蓮華座が左右の足の下で割れるのも面白いが、この形は収蔵庫の楊柳観音像や聖観音像でもみられるので、本来一具であったのかもしれない。

近くよりよく拝観できた。

 

 

さらに知りたい時は…

「国宝クラス仏をさがせ! 18 大安寺 伝楊柳観音立像」(『芸術新潮』870)、瀬谷貴之、2022年6月

『大安寺の365日』、河野裕韶、西日本出版社、2022年

『大安寺のすべて』(展覧会図録)、奈良国立博物館ほか、2022年

『東大寺・正倉院と興福寺』(『日本美術全集』3)、小学館、2013年

『南都大安寺と観音さま展』(展覧会図録)、パラミタミュージアム、2012年

「大安寺四天王像序論」(『文化財学報』25)、友鳴利英、2007年

『仏像』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2006年

『古密教 日本密教の胎動』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2005年

「大安寺の造営と諸尊の造立」(『仏教芸術』187)、田中嗣人、1989年11月

『大和古寺大観』3、岩波書店、1977年

『大安寺』、今城甚造、中央公論美術出版,、1966年

 

 

仏像探訪記/奈良市