道明寺の十一面観音像
毎月18日、25日などに開扉
住所
藤井寺市道明寺1-14-31
訪問日
2009年1月18日、 2017年6月18日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
道明寺は近鉄の道明寺駅の西、または土師ノ里駅の南、いずれも数百メートルのところにある。東隣は道明寺天満宮で、近代初期の神仏分離以前は一体であったのだろう。
本尊は日本に7躰ある国宝の十一面観音像のうちの1躰で、秘仏である。毎月18日と25日、それに1月1〜3日と4月17日のみ開扉される。
拝観料
500円
お寺や仏像のいわれ
この地は古代には志紀郡土師(はじ)郷といい、土師氏という一族が多く住んだところである。
土師氏は古墳の築造、埴輪などの製作をはじめ、葬礼にかかわる職能を有した古代豪族で、渡来系という説もある。この地域には伝応神陵をはじめ大型古墳が集中するが、これに近接して葬送にかかわる職能をもつ土師氏は居住地を設けたのであろう。道明寺はこの土師氏の氏寺と考えられ、古くは土師寺とも呼ばれたらしい。
しかし巨大前方後円墳の時代は去り、大化の薄葬令(646年)や火葬の普及に伴う墳墓の簡素化もあって、土師氏は律令の官人への転身をはかる。8世紀後半には従五位下をこえる位を得る人材を輩出、「凶礼」にかかわってきた一族であるというイメージを払拭するためにか、改姓を願って許された。秋篠氏、大枝(のち大江)氏、菅原氏の3氏は、土師氏が改姓した一族である。
菅原氏といえば、平安前期に活躍した菅原道真が有名だが、おばが道明寺の尼であったことから道真はたびたび道明寺を訪れ、その際に本尊の十一面観音像を彫ったという。しかしそれはあくまで寺伝であり、このころの道明寺の姿を実際に伝える史料はなく、古代の道明寺の様子や本尊の造像の実際など不詳である。
拝観の環境
本尊は本堂の壇上正面に安置されている。厨子中のため正面からのみ。アクリル板ごしの拝観だが、近くよりよく拝観できる。
仏像の印象
像高は1メートル弱、カヤと思われる材の一木造である。非常に細かな仕上げと、素地であることから、檀像様の仏像といえる。仏頂面を除く頭上面10面や持物など若干の後補部分があるが、保存状態はたいへんよい。
印象としては、まずきわめてプロポーションのよい像であることが上げられる。頭部、上半身、下半身のバランスは絶妙で、安定感がある。
珍しい形の小ぶりな冠をつけ、目には黒い別の材質(石か)をはめ込んでいる。上まぶたをしっかりつくり、鼻、口は上品である。頬の張りは強い。髪は耳を横切らない。仏頂面は上半身までをあらわしているのも珍しい。頭髪や唇、装身具などは彩色されていたと思われるが、その他は木肌のままに仕上げられてる。
胸の飾りは2段であり、それ自体は派手でないが、宝石をはめ込んでいたようである。冠からの紐が腕飾りのところで調節されていたり、腰から下がる長い飾り物が天衣の上にたるんで、さらに下へとくぐってよく様子は変化に富んでいる。
衣の表現がまたすばらしい。肩の布のたわみ、上半身に巻いた条帛の表情、折り返した裳、下肢の両足間で折りたたまれた裙の表現は、実に衣の質感をよく出し、神業といいたいほど。それがやや行き過ぎている感もなくはないが、ため息がでる美しさである。
製作年代は平安時代前期、9から10世紀。冴え渡る刻技に中国・唐の影響を強く見る研究者は9世紀といい、バランスよい表現に和様が進んでいると見るならば10世紀となる。
他のどの像にも似ず、孤立した美を誇っているために、造像年代も定めにくい。
その他1ー道明寺のその他の仏像
本堂内にはこのほか多くの仏像が安置されているが、本尊に向って左奥に安置されている聖徳太子像がすぐれている。
像高は120センチあまり、ヒノキの寄木造、玉眼で。16歳の時に父用明天皇の病気平癒を祈ったという「孝養(こうきょう)太子像」で、なかなか厳しい顔立ちの像である。左手小指で右の腕から垂れる衣を引っ掛け、深い襞をつくっている表現がすばらしい。像内に多数の納入品があり、鎌倉時代後期の1286年に多くの尼僧の結縁者を中心に造顕されたことがわかっている。
ほかに1躯、この寺には重要な仏像が伝来する。それは「試みの十一面観音像」と呼ばれる50センチほどの像である。本尊を制作する前に菅原道真がこの像を試みに造ったという伝承を持つ像だが、平安時代前期もしくは奈良時代のさかのぼる可能性もある木彫像で、写真で見ると大きな頭部、切れ長の目などなかなか個性が強い像である。
残念ながらこの像は普段は公開されていない。昨年本尊が九州国立博物館に出陳されたことがあり(「国宝天神さま」展、2008年9月〜11月)、その際には本尊にかわって本堂中央に安置され拝観できたそうだ。またそうした機会があれば、ホームページでアナウンスするそうである。
*2018年1月〜3月に東京国立博物館で行われる仁和寺関連の特別展にご本尊はお出ましになる予定で、その間「試みの十一面観音像」を拝観できるようだ。
その他2ー大井薬師堂について
近鉄土師ノ里駅から北へ徒歩約20分、大和川の土手のすぐ手前に誓願寺という浄土真宗のお寺があるが、そのすぐ南側に志疑神社という変わった名前の神社と大井薬師堂というお堂が隣同士に建っている。
大井薬師堂には平安時代の3躰の如来坐像が伝わっている。
江戸時代の記録によれば、この地にあった寺が焼失したままとなって3躰の仏像のみ残されてたので、この村出身の青木玄栄という人物がお堂を再興し常楽寺と名付けたという。玄栄には子孫がなく、財産をこのお堂の維持のためにと残したので、今日に至るまでこの地区の方々がお守りしているのだそうだ。
3躰の仏像はいずれも坐像で、薬師如来像を中尊、阿弥陀如来像と釈迦如来像を脇侍のようにして、堂内正面に安置している。いずれもヒノキの寄木造で、像高は薬師像が約1メートル、阿弥陀、釈迦像が約85センチ、平安後、末期時代の様式でつくられている。ただし、2000年に像を塗り直したそうで、当初の像容が分かりにくくなってしまっていた。
このお堂や像のことは地区以外ではあまり知られなかったようで、藤井寺市が市史編纂のために進めていた調査によって知られるようになったらしい。
お堂は毎月第1日曜日の午前中、地区の方が集うのでその時に開扉されている。
さらに知りたい時は…
『仁和寺と御室派のみほとけ』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2018年
『続 古佛』、井上正、法蔵館、2012年
『国宝 天神さま』(展覧会図録)、九州国立博物館、2008年
『天神さまの美術』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2001年
『藤井寺市史 各説編』、藤井寺市史編纂委員会、2000年
『週刊朝日百科 日本の国宝』035、朝日新聞社、1997年10月
『藤井寺市史10(資料編8下)』、藤井寺市史編纂委員会、1993年
『檀像』(展覧会図録)、奈良国立博物館、1991年
「大阪・道明寺十一面観音像(試みの観音)について」(『Museum』448)、松田誠一郎、1988年7月
「河内の国宝仏像」(『仏教芸術』119)、倉田文作、1978年8月