安岡寺の千手観音像
10世紀半ばすぎの作と考えられる半丈六坐像
住所
高槻市浦堂本町41-1
訪問日
2012年9月3日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
安岡寺(あんこうじ)は、JR高槻駅の西北、2キロ半ほどのところにある。
駅北口より市営バスに乗車し、「浦堂」下車。徒歩10分弱。バスの本数は多い。
バス停の南側にお寺を示す看板があるので、そこから入って行くと次第に道は細く、また上り坂になる。
バス以外の交通手段としては、駅前に常駐しているタクシー。境内まで乗り入れてもらえる。
平安時代の千手観音坐像は、土日祝日に開扉され、拝観できる(念のため事前に問い合わせてから行くのがよい)。
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれなど
安岡寺は天台系の寺院で、奈良時代後期の草創と伝える。
市内北部の神峯山寺や本山寺とともに北摂の山岳寺院として知られる。
現在は近くまで住宅地が迫り、小高い丘にある程度にしか思わないが、かつてはうっそうたる山の中の寺院といったおもむきだったのかもしれない。
高槻は桃山時代、キリシタン大名・高山右近の領内であったために迫害されたこともあったそうだが、江戸時代には4つの子院を持つ大きな寺院として栄えたという。近代初期の廃仏を経て、現在のような姿になった。
本尊は秘仏の如意輪観音像。
本堂に向って左側にある青梅観音堂(収蔵庫)に、平安時代の千手観音像が安置されている。もとは近くの寺の本尊であったそうだが、そこが廃されたため、安岡寺に移されたという。
拝観の環境
扉口からの拝観となるが、像までの距離が遠くないことと、堂内には照明もあって、よく拝観できる。
仏像の印象
千手観音像は像高約150センチの坐像。半丈六を越える大きな像である。
顔は四角ばり、額や顎は小さい。平面的な印象であるのは、目や口が控えめにつくられているためかもしれない。プリミティブというと変だが、平安時代中期以後の洗練された造形となる以前の力強さが感じられる。
上半身も四角く、大きくつくり、腰はしぼる。左右の脇手は太く、もじゃもじゃと伸びている感じで、平安後期以後の千手観音像では脇の手は細く、肘より先がついているだけなのに対して、類型化される以前の像の古様な魅力がある。肩からの天衣がうねうねとした模様を描きながら下がるさま、肩にあらわされた髪、上腕の腕飾りなど、それぞれ魅力がある。
頭上面や脇手の大部分が当初のものであるのも貴重。
脚部は低くつくられている。
構造は、左右の2材を寄せている。しかし、背中から浅くくりをいれているだけで、その後の寄木造の像のような深い内ぐりがほどこされたりはしていない。むしろ、正面で合掌する手の上腕までも同一材から彫り出すなど、古様な一木彫の要素が残る。一木造から寄木造への移行期の一例としても貴重な作例である。
つくられた時期は、京都・六波羅蜜寺の本尊の十一面観音像や同寺の薬師如来像と同じ頃、10世紀半ばすぎと考えられている。
さらに知りたい時は…
『高槻の仏像』、高槻市立しろあと歴史館、2020年
『藤原道長』(展覧会図録)、京都国立博物館、2007年
『TV見仏記』4(DVD作品)、京都チャンネル、2004年
「摂津安岡寺の千手観音像」(『日本美術工芸』418)、井上正、1973年7月