孝恩寺の古仏
平安木彫仏の宝庫
住所
貝塚市木積79
訪問日
2009年12月5日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
南海電鉄本線の貝塚駅から水間鉄道に乗り換えて終点の水間観音駅下車、東南へ徒歩20分くらい。
仏像の拝観はかつては夏の高温多湿期や法要のある日以外での事前申し込み制だったが、現在は春秋の彼岸の時期を中心とした土日祝日を中心に特別拝観日を設けて、事前申込によって拝観できるようにしている。
拝観料
1,000円
お寺や仏像のいわれ
大阪府南部には行基創建と伝えられるお寺が多いが、この孝恩寺観音堂もそのひとつ。もと観音寺といい、かつては大伽藍を誇ったというが、室町時代および秀吉の根来寺攻めの戦火によって、一堂を除き焼失したという。
残されたお堂は釘無堂または観音堂といい、鎌倉時代の建築で、大阪府下最古の建造物として国宝指定されている。観音堂というが、本尊は阿弥陀如来像。そのほか20躰近い仏像が安置されていたが、それらは宝物館に移されている(虚空蔵菩薩立像のみ大阪市立美術館に寄託)。今は廃絶した諸堂にまつられていた仏像が集められたものと思われる。
なお観音寺は19世紀末に廃寺となり、観音堂は孝恩寺(浄土宗、創建の年代等不詳)の所属となって現在に至っている。
拝観の環境
宝物館の中は仏像が一列に配置されていて、照明もあり、近くからよく拝観できる。
仏像の印象
孝恩寺の諸仏は平安時代の作であり、強い個性で迫ってくるような像が多い。中でも、薬師如来像、伝弥勒菩薩像、伝跋難陀竜王像の3躰は特に魅力ある像と思う。
薬師如来像は像高約160センチの立像。カヤの一木造で、内ぐりもない古様なつくり。全身から霊威が迫り、大きく感じる像である。
頭は長大で、肉髻の大きさが半端ではない。螺髪(らほつ)は、如来の髪が巻貝(螺)のように巻いているさまをいうが、この仏像の髪はまさに先の尖った巻貝が並ぶようで、整然と刻出されている様子は、一度見たらなかなかそこから目を離せなくなるほどである。目鼻は大きく、小鼻の脇に刻まれた線が表情を不思議なものにしている。くちびるは薄く、鼻から顎までは短い。
下半身がまた長い。袈裟を短めに着て、その下の衣が長く見えている。
袈裟は胸で大きく折り返されていて、菩薩がまとう条帛を思わせ、また右腕にかかる衣の先は細くなって天衣のように見える。他のどの仏像にも似ない、とても特異な像である。
全身に黄土色を塗ったあとがあり、檀像に似せた着色をした代用檀像彫刻である。
伝弥勒菩薩像は像高90センチ弱の坐像。薬師如来像と同じく黄土色に塗った代用檀像彫刻である。
肉髻と螺髪(ただし全部落ちている)、袈裟をまとう姿なので、どう見ても如来像であり、手を前に出して親指と中指で丸をつくっていることから、説法印の阿弥陀如来像とも思われるが、これをあえて弥勒菩薩としたのはわけがあるのかもしれない。カヤの一木造、後頭部と背中から内ぐりがある。
この仏像も非常に強い印象を与える。特に顔が左右対称を大きく崩し、頬のふくらみが左右で異なる。目は強いまなざしで、上唇のカーブも力強い。肩をいからせ、背中から腕にかけての衣の線も生き物のごとき生命力に溢れる。斜めから覗くように見ると、側面が大変厚いことがわかる。足と体幹部の接続部分がややあっていないので、脚部は別の像からの転用である可能性もある。
伝跋難陀(ばなんだ)龍王像は、像高170センチ余。カヤの一木造で、内ぐりはない。
深い顔の彫りの怖いほどに威厳ある像である。眉は満月のよう。まげはきりきりと高く結い、頭のまわりの髪や腕輪も丁寧なつくりである。袖の衣褶の繰り返されるさまも尋常でない。手先は後補。
なお、竜王像は絵画作品にはあるが、彫刻の古例としては類を見ない。この像も本来は別の像として造られたのかもしれない。
さらに知りたい時は…
『名作誕生』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2018年
『木×仏像』(展覧会図録)、大阪市立美術館ほか、2017年
『続 古佛』、井上正、法蔵館、2012年
「秘仏巡礼」1(『大法輪』72巻3号)、白木利幸、2005年3月
『里の仏』、藤森武、東京美術、1997年
『仏像集成』7、学生社、1997年
『大阪の仏像ー飛鳥から平安まで』(展覧会図録)、堺市博物館、1991年
『和泉地方の仏像』(展覧会図録)、堺市博物館、1988年
『泉南の文化財』(展覧会図録)、大阪市立博物館、1987年
『檀像』(『日本の美術』253)、井上正、至文堂、1987年6月
『古佛』、井上正、法蔵館、1986年
『日本古寺美術全集7 四天王寺と河内の古寺』、集英社、1981年