太平寺の地蔵菩薩像・阿弥陀三尊像
うねる衣の線の魅力
住所
堺市西区太平寺563
訪問日
2011年1月9日
拝観までの道
JR阪和線鳳駅に近い「鳳駅前」バス停より栂・美木多(とが・みきた)駅方面行き南海バスに乗車し、「菱木」下車。東へ徒歩約7分。
拝観は、住職がご多忙ということで、日時の予約はできないとうかがった。筆者は、事前にお手紙でお願いをしておき、当日にお電話を入れ、許可をいただいた上でおうかがいした。
拝観料
特に拝観料の定めはなかった。
お寺のいわれ
堺市南部にある真言宗寺院。お寺の名前が付近の地名にもなっているので、かつてはこの地域の中心であったと思われるが、度重なる火災などで今では比較的小規模なお寺となっている。
開創は行基と伝えるが不詳。ちなみにこの地域は行基生誕の地といわれ、北に4キロのところにある家原寺(えばらじ)は行基の生家を寺に改めたものだそうだ。
古仏を伝えていることから、古代草創の寺であるのだろうが、歴史上太平寺の名前が登場するのは15世紀からで、このころに中興されたとも考えられる。
拝観の環境
堂内は暗いものの、近くで拝観させていただけた。
地蔵菩薩像について
地蔵菩薩立像は、本尊に向って左側に安置される。
像高は140センチあまり、一木造、材はカヤまたはヒノキ。背中から浅いくりがあるが当初のものでなく、もとは内ぐりもない古様な像であったと考えられている。
制作の時期は平安時代前期と考えられるが、奈良時代とする説もある。
鼻や手足の先を失っている。四角い台座の上にたてているが、足先を失っているのに極めてまっすぐ安定感よく立っている。姿勢のいい像である。厚みはそれほどなく、下半身はややどっしり感がある。顔はこぶりで下半身が長い。
頭の形はたいへんよく、ほおがはって美しい形象である。目や口は小ぶりにつくる。
この像のすごいところは、衣の線である。とにかく細かい。細く低い山と陰刻された線が交互にウェーブしながら流れる。
前方に突き出した左の腕から下がる衣はぼってりと厚く表現され、ここを滝のように下る襞(ひだ)や、右腕のカーブした襞、膝の厚みに沿うことなく独自の意志を持っているかのごとく執拗に刻まれた下肢の襞は、見飽きるということがない。
特別ないわれをもった霊木を用いた、神の姿でもある仏像なのかもしれない。
阿弥陀三尊像について
本尊、阿弥陀三尊像は平安時代前期の仏像。
中尊の阿弥陀如来像は像高約1メートルの坐像。材はヒノキという。
この仏像には目がない。
肉髻は低く地髪との境を明確にせず盛り上がる。鼻、口はよく整っているが、目だけがあらわされていない。ただし、目がないといっても、眼球のふくらみをあらわし、その下に本当は目がある、それが出現していないだけなのだと思わせるようなつくりである。仏像の完成は開眼供養といって目を入れる儀式をもってするわけだが、このような目のない仏像はこれから真に我々の前に姿をあらわすその直前の姿とも考えられる。
上半身は四角い箱のようで、胸は量感豊かであり、脚部はよく左右に張る。
手は定印だが、後補。
脇侍の菩薩像は像高160センチ余の立像で、三尊の脇侍としては中尊に比べてサイズが大きい気がする。また、左右の菩薩像は作風が異なり、もともとの一具ではないと思われる。木の種類も異なっているらしい。
向って右の脇侍像は、頭は小さいものの、まげを高く大きく結う。整った顔立ちに誇張のない自然な姿勢である。その一方で条帛には渦巻きの文様が、下肢には翻波式衣文が見え、奈良時代の仏像のような理想美に平安前期の特徴がうまく接ぎ木されているような彫刻である。
一方向って左の像は、顔は下ぶくれで、縦に長い四角のよう。古様な冠をつけるが、胸は薄く、衣の襞も浅くなっている。
その他
本尊に向って右側に安置される十一面観音立像は、像高約1メートル。衣の線は浅くなって、平安時代後期の作と思われる。
体幹部をヒノキの一木でつくり、襟のところから割って内ぐりし、次に頭部を割り離し、耳の後ろで割って内ぐりしているという。このように頭と体をそれぞれに割矧ぎしている仏像は、例がないわけではないが珍しい。
さらに知りたい時は…
『堺市美術工芸品調査報告書』第一集、堺市教育委員会、1995年
『芸術新潮』1991年1月号、新潮社
『古佛 彫像のイコノロジー』、井上正、法蔵館、1986年
『堺の仏像仏画』(展覧会図録)、堺市博物館、1985年