霊山院の阿弥陀如来像
小さな鉄の阿弥陀さま
住所
ときがわ町西平445
訪問日
2008年12月7日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
霊山院(りょうぜんいん)は関東を代表する古刹・慈光寺の奥にあるお寺である。
交通は、JR八高線の明覚(みょうかく)またはそのひとつ南側の駅・越生(おごせ、東武越生線の終点でもある)から、ときがわ町代替バスが出ている。直通もしくは「役場第二庁舎前」あるいは「慈光寺入口」で乗り替え、「慈光寺」下車。ただし「慈光寺入口」まではバスの本数は多いが、「慈光寺」まで行くものは少ない。「慈光寺入口」からも歩けない距離ではないが、行きは厳しい上り坂となる。
バス下車後、慈光寺の宝物館前や観音堂の下を通る舗装道路を進むと、徒歩15分くらいで着く。
仏像拝観は事前に電話予約が必要である。
拝観料
特に拝観料は設定されていない。
お寺や仏像のいわれ
このお寺はもとは慈光寺の子院としてつくられた。開いたのは臨済宗の開祖栄西の弟子の栄朝で、関東最古の禅寺と伝える。
天台宗の慈光寺の子院が禅宗とは不思議なことである。もともと日本の天台宗は、禅、律、密を兼ね備えた総合的な宗派であったので、そういうこともあり得たのであろう。近代初期に政府の命令によって両寺は分かれ、臨済宗妙心寺派の寺院となった。現在は立派な坐禅堂を持ち、また末寺も擁する名刹である。本堂は江戸中期のものだが、1971年に大改築された。
この寺には鎌倉時代の鉄仏の阿弥陀如来像が伝わっている。客仏で、伝来は不明。本堂内のガラスケースに安置されている。
拝観の環境
本堂は明るいが、逆に明かりがガラスに映ってやや見にくい。自分の体で陰をつくるようにするとよく拝観できる。また、側面もよくわかる。
仏像の印象
阿弥陀如来像は像高34センチほどの小さな坐像で、二重のケース内に安置されている。鉄仏は空気中の酸素と結びついて腐食しやすく、かなり表面は荒れてきているので、これ以上傷みが進まないようにという配慮であろう。
目や口、衣の襞(ひだ)は分かりにくくなっているが、鼻や耳は大振りで力強い。全般的な印象としては穏やかであるが、もしかしたら元はやさしいというよりは迫力をもつ像であったのかもしれない。
螺髪(らほつ)の盛り上がりはしっかりつくられ、体はがっしり大きく、それを支える膝の張りも十分である。低い位置に置かれているので、膝が美しい三角形に開いている様子がよく分かる。
上体はやや反り気味で、体の横には前後で型を合わせた跡が残る。
よく見ると、頭部から胸、定印を結ぶ手のラインはわずかにずれている。完成された美は時に冷たい印象を与えるが、わずかなゆがみは優しさや暖かみを感じさせる。
一般に鉄仏は銅像に比べて鋳造が難しいが、この仏像は薄くつくられ、中型をきれいに抜いていて、たいへん優れた技術で仕上げられている。
その他
本堂前には2メートル以上もある大きな板碑が立っている。永仁の板石塔婆と呼ばれ、鎌倉後期の1296年につくられたもので、阿しゅく如来を示す梵字が大きく刻まれている。なかなか雄渾に彫られ、みごとである。
さらに知りたい時は…
『慈光寺』(展覧会図録)、埼玉県立歴史と民俗の博物館、2015年
『都幾川村史資料』6-4、都幾川村史編さん委員会、2000年
『都幾川村の史跡と文化財ーふるさとの散歩ガイド』、都幾川村文化財調査委員会、1983年
『日本の鉄仏』、佐藤昭夫・中村由信、小学館、1980年
『埼玉県指定文化財報告書』11、埼玉県教育委員会、1976