法光寺の地蔵菩薩像と長念寺の聖観音像
南北朝時代の法衣垂下像
住所
飯能市坂石町分333-1(法光寺)
飯能市白子260(長念寺)
訪問日
2014年2月22日
この仏像の姿は(外部リンク)
法光寺について
西武秩父線吾野(あがの)駅下車、西へすぐのところにある曹洞宗寺院。
本尊の地蔵菩薩像は南北朝時代の作。
拝観は事前連絡必要。志納。
地蔵菩薩像は本堂の奥の高い壇の上に安置されている。近くよりよく拝観させていただけた。
法光寺地蔵菩薩像について
像高40センチほどの坐像。小振りな仏像である。ヒノキの寄木造、玉眼。
両膝の左右より衣が下がる、いわゆる法衣垂下像の代表作として知られる。
顔は面長だが、頬はふっくらとして親しみやすい。目はやや釣り上がり、半眼ながら比較的見開きが大きい。
顔や胸は金色に厚く塗られているが、これは後補で、これによって像のシャープさが減じているようである。また、両手先も後補。
胸など体は抑揚があまりなく、衣は左肩で変化をつけるが、全体的にはおとなしい印象がある。衣の垂下は誇張なく自然である。
像内に名札が納入されていて、造像年と仏師名がわかるのが貴重である。それによると、つくられたのは南北朝時代の末、1386年で、造立の中心人物は岡部新左衛門入道妙高、制作にあたったのは仏所若狭法眼と絵所詫磨浄光とある。若狭については不明だが、詫磨浄光は鎌倉・来迎寺の地蔵菩薩像(1384年)の造立にもかかわっていることが知られている。
長念寺について
長念寺は、法光寺のある吾野駅から西武池袋線で2駅戻った武蔵横手駅で下車し、北北西に徒歩10~15分歩いたところにある。このお寺にも法衣垂下像が伝来している。
鎌倉時代末期の板碑が伝えられており、中世以来の古刹ではあるが、創建の事情等は残念ながら伝わらない。その後衰微し、戦国時代~桃山時代に再興され、現在に至る。曹洞宗の寺院。
本尊は聖観音立像(秘仏)とのこと。
観音堂と聖観音像について
本尊とは別に伝来する聖観音坐像(観音堂本尊)が、法光寺の地蔵菩薩像と同様の法衣垂下像である。
観音堂は、本堂の前(南側)ある土蔵造りのこじんまりした建物。正面には格子戸がはめられ、そこに透明なシートが貼られているので、そこから拝観する。特に事前連絡等必要ない。
像までは遠く、また堂内はやや暗いが、なんとか見える。晴天の午後がおすすめ。
なお、本像が本来まつられていた観音堂は今は東南東に10キロほど離れた入間市の高倉寺(こうそうじ)に移築されて残っているそうだ。中世の禅宗様建築として関東を代表する建物といい、江戸時代中期に移されたとのこと。
聖観音像の印象
像高は約60センチで、ヒノキの寄木造、玉眼。
宝冠をつけ、袈裟をまとった姿で、衣が蓮華座から左右に下がる。南北朝時代ごろの作。
顔はやや四角張り、釣り上がり気味の目、大きめの鼻や口が特徴的。しかし一方、派手に装身具をまとい、なで肩、また顔の美しい彩色によって、女性的にも見える像でもある。
像底はくり残しているそうで、これは鎌倉時代前期の運慶以来の作り方であり、納入品を納めるのに適したつくりとなっている。像内には江戸時代の経典や袈裟が納入されていたそうだ。
さらに知りたい時は…
『飯能の名宝』(展覧会図録)、飯能市立博物館、2019年
『埼玉の仏像巡礼』、青木忠雄、幹書房、2011年
『埼玉県指定文化財調査報告書』第20集、埼玉県教育委員会、1997年
『さいたまの名宝』、埼玉県立博物館、平凡社、1991年
「東国の宅磨派」(『金沢文庫研究』)、三山進、1971年