如意輪観音堂の如意輪観音像
関東最古の在銘彫刻

住所
越生町如意
訪問日
2008年11月3日
拝観までの道
如意輪観音堂は、東武鉄道越生線またはJR八高線の越生(おごせ)駅で下車し、東へ1キロ強。徒歩15分ほどである。
駅の出口は西側にあり、駅の南側の踏切を渡る。この踏切のところから道しるべが立ち、以後ポイントごとに案内表示がされていて、分かりやすい。また。駅前にはタクシー乗り場があり、乗れば基本料金で着く。
なお観音堂のある地域は「如意」と書いて「ねおい」というそうだ。この像あるいはお堂の名称から転じた地名であろう。
如意輪観音堂の本尊、如意輪観音像はお堂に向って左側の収蔵庫に安置されている。普段は閉まっており、年に3回、3月21日、7月9日、11月3日に開扉されているそうだ。かつてはお祭りをしてそれにあわせてご開帳をしていたというが、祭りはずいぶん前にすたれ、現在は地域の方が掃除を兼ねて集い、開扉を行っている。
事前に越生町役場(町史編さん担当の方)に問い合わせたところ、午後の3時くらいが拝観しやすいのではないかということだった。その時間にうかがうと、確かに掃除等一段落したところだったようで、落ち着いた雰囲気で地域の方がいらっしゃって、挨拶してじっくりと拝観することができた(拝観できる日時については、念のため町に問い合わせを)。
拝観料
志納
仏像のいわれ
銘文によって年代はわかっているが、伝来はこの観音堂本尊であること以外は不明。
拝観の環境
拝観はガラス越しになる。収蔵庫内には電気もつけられて明るく、像までの距離もそれほど遠くない。
仏像の印象
我々がよく知る6臂の如意輪観音と違い、2臂(手が2本)像である。左足を踏み下げている半跏像である。
像高1メートル強(ただし頭から足下まで、座高でみると約80センチとほぼ等身大の像)、カヤの割矧(わりは)ぎ造である。
顔は丸顔というより横長と言いたいくらい、まん丸としている。細くつり上がった目、薄い唇など、渋い表情の像である。立派な冠をつけ、その中央には小さな穴があいているが、これは化仏を取り付けていたあとであろうか。写真で見ると、その下には墨で素朴な蓮華座の絵が描かれているが、肉眼では分からない。
なで肩である。上半身は高く、がっしりと量感豊かであるが、腰はしっかりと絞り、メリハリがある。しかし下半身は比較的小さくつくられ、特に踏み下げる左足は短くて、バランスが悪い。肩にかかる布(そこから下がる天衣は亡失)は薄く表現され、流れるように襞(ひだ)が刻まれているが、下半身の襞は強く刻まれている。古様さや素朴さの中に平安後、末期のおだやかさ、優美さが同居している像である。なお、両手先、持物の如意宝珠、左足先、垂下する裳裾の部分は後補である。
像内に短い銘文がある。1162年の年と、造像にあたった人物名として檀越長春と僧良仁の名前が像内に墨書されている。関東にある仏像彫刻のうち、東京国立博物館の法隆寺宝物館の仏像のように後世に移されて来たことが明らかな像を除けば、この像は最古の在銘彫刻であり、大変貴重な作例である。
さらに知りたい時は…
『おごせの文化財』、越生町教育委員会、2003年
『如意輪観音像・馬頭観音像』(『日本の美術』312)、井上一稔、至文堂、1992年5月
『日本仏像彫刻史の研究』、久野健、吉川弘文館、1984年
『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 造像銘記篇』4、中央公論美術出版、1967年
「平安在銘彫刻資料3」(『Museum』156)、佐藤昭夫、1964年3月
