補陀洛山寺の千手観音像
年3回のご開帳
住所
那智勝浦町浜の宮348
訪問日
2009年5月17日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
補陀洛山寺(ほだらくせんじ)はJR紀勢線の那智駅下車、西へ徒歩5分ほどのところにある。那智駅は特急が止まらず、列車の便数が少ないが、隣の勝浦駅から那智駅を経由する熊野交通バス(新宮駅行き、那智山方面行き)がある程度頻繁に出ている。
本尊千手観音像は秘仏で、基本的に1年に3日開帳される。1月27日、5月17日、7月10日で、ご開帳の時間を電話でうかがったところ、午前11時から護摩炊きの法要があり、その終了後まもなく閉じてしまうので、拝観は法要の前がよいとのこと。前もってうかがう予定の時間をお知らせすると、少し前から開けておいてくださるということであった。
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれ
寺伝によれば、はるか古代にインドから熊野へ到来した裸形上人によって創建されたという。
かつては大伽藍を有したというが、19世紀初頭の台風によって打撃を受け、近年まで仮本堂が建つのみであった。1990年に現在の本堂がつくられた。
寺名の補陀洛(補陀落など別の表記もある)というのは観音の浄土のことである。
阿弥陀浄土が西方、薬師浄土は東方にあるのに対して、観音の浄土は南方にあるとされ、浄土に渡ることを願って、昔この那智の浜から船で旅立つということがあったそうだ。世に言う補陀洛渡海である。
11月の夕、渡海する僧は小舟にわずかな油と食料とともに乗り、伴船に曳航されて沖へと出る。綱切島という島のところでまさに曵き綱は切られ、あとは北風に乗り、日夜法華経を唱えながら浄土を目指した。記録によれば平安時代から江戸時代まで20人ほどの僧侶が渡海を行ったとあるが、のちにはこの寺の住職が亡くなると、その儀式にのっとって遺体を海に流すという形に変わったという。
渡海する僧は必ずその前に補陀洛山寺にて修法を行ったそうで、この寺の本尊はその様子を見守り続けた仏さまなのである。
拝観の環境
堂内は明るく、近くまで寄って大変よく拝観できる。
仏像の印象
本尊の千手観音像は像高約170センチほどの立像。一木造で、背ぐりがある。台座は当初のものだが、板光背は後補(中世のもの)。
丸顔で、目鼻だちがくっきりしている。眉は美しい円弧を描き、目はまぶたの彫りが深く、鼻は大きい。しかし強い印象を与えながらも、厳めしさよりもやわらかさを感じるお顔である。頭はやや大きく、体躯も太めにどっしりとしている。
衣の線はやや浅く、裙の折り返しの部分や腰のヒモが垂れて天衣とからむところなど、なかなか行き届いたつくりである。平安後期時代の作と思われる。
目立たないが、両耳の後ろに脇面をつけている。いわゆる三面千手の像の一例である。
なお、この千手観音像は道成寺宝仏殿安置の千手観音像と同じく44本の腕をもっている(通例は42本)。
その他
本尊の厨子の左右には本尊よりも古いと思われる二天像が安置されている。
さらに知りたい時は…
『観音浄土に船出した人びと』、根井浄、吉川弘文館、2008年
『祈りの道 吉野・熊野・高野の名宝』(展覧会図録)、大阪市立美術館、2004年
『地方仏を歩く』1、丸山尚一、日本放送出版協会、2004年
『紀伊路の仏像』(『日本の美術』225)、松島健、至文堂、1985年2月
『和歌山県の文化財』3、清文堂出版、1982年