慈光円福院の十一面観音像
もと下和佐村八幡宮別当寺の本尊像
住所
和歌山市新金屋丁31
訪問日
2009年12月5日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
慈光円福院(じこうえんぷくいん)は、和歌山市の市街地にある比較的小さな寺院である。
和歌山市駅から東へ徒歩約20分、また和歌山駅からは北西に徒歩20分から25分のところにある。
拝観は事前連絡必要。
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれ
戦後、慈光寺と円福院が合併してこの寺名になった。
円福院は江戸時代初期、紀州藩家老の水野氏の援助で近江志賀谷の円福院の住職によって現在地に近い和歌山の新町地区につくられ(または近江の円福院が移転して来たとも)、のち現在地に移ったと伝える。しかし戦災ですべて焼失し、戦後の区画整理で寺地も縮小されてしまった。
一方慈光寺はここより5、6キロ東の下和佐村(現和歌山市下和佐)というところにあり、古代草創、八幡宮の別当寺でもと下和佐観音と称していた等伝える。近代初期の廃仏と戦後の農地改革で荒廃してしまい、円福院と合併して本堂および本尊を現在地に移したという。
従って、慈光円福院の寺地はもと円福院のあったところで、本尊の十一面観音像は旧慈光寺本尊ということになる。
拝観の環境
門を入ると正面が本堂。西面する。
十一面観音像はお堂の中央、厨子の中に安置されている。お堂の中はやや暗く、西日が低く入ってくる好天の夕方がよい。
すぐ近くで拝観させていただけるが、近づくと見上げる形となる。少し遠ざかると、今度は像の前の飾り物のために下半身がよく分からない。しかし近づいたり遠ざかったりしてゆっくりと拝観していると、次第に印象が濃いものになってくる。
厨子の陰で頭上面は見えない。
仏像の印象
像高は約150センチの立像。カヤの一木造で、内ぐりなし、また耳の後ろに下がる髪や天衣で本体から離れている部分も共木で彫られているそうで、できる限り一材から彫りだそうという意識でつくられた像である。
頭上面、左手、右手の指の一部、足先、外側に垂下する天衣は後補だが、全体に保存はとてもよい。
顔立ちはきりりと凛々しい。唇の朱が匂い立つような美しさを感じさせる。
ほぼ直立し、手はやや長い。また、下半身はみごとな翻波式衣文が刻まれている。膝の間には渦巻きの文様が刻み出されている。しかし、平安前期彫刻によくあるようなきつい誇張は見られない。翻波式にしても、豪放さより柔らかさを感じさせる。条帛や天衣のよじれや裙の折り返しに刻まれた曲線、また両足間で裙が柔らかくカーブしながら下へと模様をつくっている様子など、実に入念な作と思う。
さらに知りたい時は…
「ほっとけない仏たち67 慈光円福院の十一面観音像」(『目の眼』538)、青木淳、2021年7月
『仏像』(展覧会図録)、東京国立博物館ほか、2006年
『神と仏』、藤森武、東京美術、1998年
『月刊文化財』321、1990年6月
『和歌山県の文化財』2、清文堂、1981年
『月刊文化財』216、1981年9月