笠森観音
12年に2度、丑年・午年の秋に開扉

住所
長南町笠森302
訪問日
2009年10月24日
拝観までの道
坂東三十三観音霊場の第31番札所として名高い笠森寺(笠森観音)は、牛久、茂原間の小湊バスで「笠森」下車。本数は、日中2〜3時間に1本程度(日曜日はさらに少なくなるので注意)。
→ 小湊バス
バス停から牛久方面に150メートルほど戻って右折すると、笠森寺の本坊がある。そこからまた150メートルくらい進むと、町営の駐車場、食堂があり、その前の石段を上っていくと、山門、その奥に観音堂がたっている。
雨天時は閉堂するかもしれないので、問い合わせてからお出かけすることをお勧めする。
本尊は十一面観音像で、平時は厨子中に秘められ、その前にはお前立ちの観音像が立つ。
丑年と午年の秋の約1ヶ月(10月17日から11月18日)は秘仏本尊が開扉される。
拝観料
300円
笠森寺の観音堂について
観音堂は懸造(かけづくり)の建物である。
高台にお堂を造る時、その前面部が崖からせり出すようになって、この部分を長い柱を立てることで支える。これが懸造で、せり出したところが舞台のようにも見えるので、舞台造ともいう。こうした造りは京都・清水寺や石山寺、長谷寺、円教寺の摩尼殿など、観音をまつるお寺に多く見られるようだ。
しかし笠森寺の観音堂がユニークなのは、お堂全体が懸造の構造で造られていることだ。四方懸造といい、日本唯一という。崖の端でなく岩山上に造られていて、中央部で岩山に接するが、その周囲すべてが柱で支えられている。この岩山と接している真上に本尊が立つ。古くからの巨石への信仰と、観音の浄土信仰があわさっているのであろう。
拝観の環境
ご開帳のときにうかがうと、お前立ちは厨子の向って左側、四天王像の間に移され、厨子の扉が開かれていて、本尊を拝観できる。お堂の外陣からの拝観だが、お像との距離が比較的近く、よく拝観できた。
仏像の印象
寺伝によると、本尊は伝教大師最澄の作、お堂は平安時代中期に後一条天皇の勅願によってこのお堂を建てられたとする。実際にはお堂は桃山時代ごろの再建、本尊は室町期の作である。
像高は約2メートル半の立像。比較的珍しい4臂(手が4本)の十一面観音像である。お厨子の扉を開けても上半身しか見えず、段のずっと下、岩上の床板の上の台座からお立ちになっていることがわかる。
顔は四角く、平板で、顎が大きい。衣文も省略ぎみのつくられていて、中央作の洗練された仏像を見慣れた目で見ると違和感ある像だが、じっくり拝観させていただいていると、霊威を感じる仏さまである。岩やお堂と一体になって立っているという信仰の有り様が感じられる。
彫るという行為を最少限にして造像しているのは、立木仏の系譜を引いているのかもしれない。
さらに知りたい時は…
『関東古寺の仏像』、川尻祐治編、芸艸堂、1976年
『千葉県史料 金石文篇1』、千葉県企画部県民課、1975年
