瀧水寺仁王像と西福寺不動・毘沙門像
鎌倉期地方仏の味わい
住所
印西市滝1009 (瀧水寺)
印西市小林1615(西福寺)
訪問日
2011年11月6日
瀧水寺までの道
瀧水寺(たきすいじ)は天台宗寺院。
最寄り駅はJR成田線の小林駅で、西南へ徒歩約30分。
バスだとは小林駅から印西牧の原駅方面行きちばレインボーバス小林線または印西市ふれあいバス(東ルート)に乗車し、「小林牧場」で下車、徒歩10分。
また、小林駅にはタクシーがほぼ常駐している。
仁王像は、薬師堂の前の仁王門に安置され、金網ごしではあるが、自由に拝観できる。
瀧水寺の仁王像
橘禅寺(市原市)、万満寺(松戸市)、薬師寺(成田市)、法興寺(いすみ市)など、千葉には中世のすぐれた仁王像が多く残る。いずれも、風雨にさらされる門に立っていた像にもかかわらず、よく伝来したものだ。
瀧水寺の仁王像は地方的で素朴な姿であり、深みのある雰囲気をかもし出す。上にあげた仁王像に勝るとも劣らない名像であるように思う。
像高は約230センチで、この地域の仁王像の中でも大きい方である。樹種はマツだそうだ。
阿形像は一木造だが、吽形像は木を寄せてつくっているという。
この仁王像の魅力は顔の表情にある。特に目は、左右を対象とせず、高さや角度を変えて生き生きとした表情を出している。
額から鼻にかけてしわを強くあらわし、鼻をふくらませて、怒りを表現している。
強いいかり肩であるところ、ややぎこちない手のかまえは、質朴な感じがする。
体の筋肉や衣のひだ、風によるひるがえりは控えめな感じ。衣は長く伸ばさず、左右でからげるようにして丸めている様子も面白い。
西福寺と仏師賢光について
西福寺も天台宗寺院。JR成田線小林駅下車、東南へ徒歩10分。
ここに、鎌倉後期の賢光という仏師の作の不動明王像、毘沙門天像が所蔵されている。
賢光は千葉県地方で活躍した地方仏師である。
その作として知られている仏像は、千葉市・天福寺の十一面観音像(1256年)、市原市・長栄寺の十一面観音像(1264年)、印西市・来福寺の薬師如来像(1285年)、印西市・多聞院の毘沙門天・両脇侍像(1289年)である。これらはいずれも普段は拝観できず、決められた日の開帳される。
賢光については、上にあげた仏像の銘文から、30年以上にわたってこの地域で造像にあたったことが分かっている。しかしそれ以外には、彼の活躍を示す資料など、残されていない。
近年、賢光の5例目の仏像が見つかった。それがこの西福寺の不動明王像、毘沙門像である(さらに、瀧水寺の十二神将像、匝瑳市・長徳寺の不動明王像、大多喜町・東福寺の薬師如来像も同じ仏師の作と知られた)。
多くの賢光作の仏像が秘仏であるのに対して、西福寺の2像は事前にお願いしておくと拝観が可能である。志納。
西福寺はご住職がいらっしゃるお寺だが、この仏像の拝観については、檀家総代が窓口になっている。問い合わせ先は印西市教育委員会(生涯学習課)。
不動・毘沙門像について
不動明王像と毘沙門天像をセットして安置するというのは、考えてみれば不思議な取合せである。
不動明王は明王というジャンルを代表する仏であり、密教の最高の仏である大日如来の化身ともいわれる。一方、毘沙門天像もまた天部の代表ではあるが、しかし天部というのは仏の守護神であり、いわば低い尊格である。
このアンバランスともいうべき2像は、ある時、天台系の仏教の中で組み合わされたらしい。比叡山の明王院の千手観音および不毘(不動と毘沙門)像はその古例である。また、伊豆の願成就院や三浦半島の浄楽寺では、阿弥陀如来像を中央に不動と毘沙門が脇を固める。
この西福寺の不動明王像、毘沙門天像も、阿弥陀か観音を中尊とする脇侍像であった可能性がある。しかし、そうだとしても、残念ながら本来の中尊像については不明である。
これらの像は、お寺からほど近い庚申堂と呼ばれるお堂に安置されていたそうだ。石造の青面金剛像を中央にして、その左右に置かれていたという。大風のためにお堂が破損したのをきっかけに調査が入ったが、その時点でかなり壊れていたらしい。
この調査によって賢光の銘が見つかり、修理を終えて、現在は西福寺本堂の向って右側の間に、新調された厨子に入って安置されている。
ただし、この像の銘記は短く、「仏師賢光(花押)」とあるだけで、残念ながら年や造像の事情などは書かれていない。
仏像の印象
西福寺の不動明王像、毘沙門天像は、ともに像高60センチほどの立像で、割矧(わりは)ぎ造である。
不動明王像は、目はつりあがり、ほお骨が張る。口をへの字にまげ、額にしわを寄せて、独特の表情をつくる。くせの強い顔立ちは他の賢光の仏像にも共通するところである。
右手をやや上げ、それにつれて腰を少しひねる。左足を若干前に出して動きを見せるが、基本的には静的である。
一方、毘沙門天像は、右手で戟をとり、左手で宝塔を掲げる。体をしっかりとひねって、大きな動きを表わす。腹は厚みを出し、裾はやや重たい感じではある。
両像とも比較的小さな像であるが、気宇壮大というとやや大げさかもしれないが、なかなか力づよい造形である。写真だと人形のようにも見えるが、実際に拝観すると迫力ある造形であることがわかる。
さらに知りたい時は…
『印西市の仏像 印西地域編』、印西市教育委員会、2014年
『仏像半島』(展覧会図録)、千葉市美術館、2013年
「印西市・西福寺の賢光作 不動明王立像及び毘沙門天立像について」(『印西の歴史』4)、塩澤寛樹、2008年3月
『千葉県の指定文化財』第1集、千葉県教育委員会、1991年