泉倉寺の地蔵菩薩像
井伊家から贈られたという優美なお地蔵さま

住所
印西市和泉971
訪問日
2009年1月31日
拝観までの道
泉倉寺(せんぞうじ)は北総線の千葉ニュータウン中央駅下車、北へ徒歩約30分のところにある。
駅の北口にはタクシーが常駐していて、1,000円以内で着く。また、印西市ふれあいバス(コミュニティバス)西ルートで「小倉」下車すぐ。
拝観は事前連絡が必要。
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれ
この寺はもと真言宗寺院で、かつては近くの本杢村というところにあり、先蔵寺と称していた。戦国時代に焼かれ現在地に移り、地名である和泉、小倉から1字ずつをとり、かつもとの寺名の音を生かして泉倉寺と改名したと伝える。現在は天台宗。上野の寛永寺の末で、以前は寛永寺から住職が入るなど、寺格の高い寺であったそうだ。
泉倉寺には彦根の大名・井伊家から贈られたと伝えられる地蔵菩薩像が伝来している。この寺と井伊家とは直接のつながりはないが、この寺にかつてあった空海請来のお地蔵さまが失われたという話を伝え聞いた井伊直弼の奥方が念持仏を贈ったという。
像内が金箔で荘厳されているそうで、よほどの由緒をもつ像であったと思われるが、残念ながら造像や伝来については不詳である。
拝観の環境
客殿の厨子中に安置されているので、正面からのみの拝観だが、お堂は明るく、またすぐ前に寄って拝観させていただける。
仏像の印象
像高は約140センチの半跏像で、カヤの寄木造。
手には宝珠と錫杖(後補)を持ち半跏する形は延命地蔵と称され、平安後期から鎌倉時代にかけて多く造られた。この像も鎌倉前期ころの作である。
顔つきは張りがあり、若々しい。両目は接近する。姿勢はよい。腹にヒモの結び目を見せる。ややなで肩。座高は高く、一方膝の張りや高さは控えめである。衣の流れは大きく、やや深く刻まれている。
全体の優美な感じは平安時代後期の雰囲気を伝え、若々しい表情ややや深い衣の襞(ひだ)は鎌倉時代の特徴を示している。
その他
このお寺の西側、徒歩数分のところに宝珠院観音堂(光堂)というお堂がある。室町時代の美しい建物で、泉倉寺に所属している。お寺のすぐ横の道路に案内表示があるが、小さいので見落とさないように。細い道を入って行くと着く。
なお、市内の多聞院(年一度開帳、毘沙門三尊像)もこのお寺が管理している。
また、岐阜・関善光寺の丈六阿弥陀如来像は泉倉寺から移された像だそうだ。
さらに知りたい時は…
『印西市の仏像 印西地域編』、印西市教育委員会、2014年
『房総の神と仏』(展覧会図録)、千葉市美術館、1999年
『房総の仏像彫刻』、千葉県教育委員会、1993年
