通宝山弥勒寺の弥勒三尊像

たくさんの人々が力を合わせて999年につくられた

住所
姫路市夢前町寺1051


訪問日 
2024年11月3日


この仏像の姿は(外部リンク)
通宝山弥勒寺ホームページ・彌勒寺の概要



拝観までの道
弥勒寺(通宝山弥勒寺)は姫路市北部にあり、姫路駅からバスで40分ほど乗って、さらに40分くらい歩く。
書写山円教寺の奥の院という。円教寺からは北へ約5キロの場所だそうだ。円教寺はかなりの山中にあり、その奥の院で、姫路駅からそれだけの時間がかかるということは、どれほどの山奥であろうかと臆しながら出かけた。実際に行ってみると、時間は確かにかかるが、道は平坦なところがほとんどであった。

姫路駅前(北口)から前之庄行きの神姫バスに乗車し、「又坂」下車。バスの便数はおよそ1時間に1本程度。下車後は、西南方向に10分ほど行くと浄安寺というお寺の霊園があるので、そこからは西へ。行程中このあたりだけが上りの坂道で、少々きつい。夢前水上ゴルフセンターまで来たら北へ、小坪自治会館の前からは北東へと進むと、やがて弥勒寺の山門が見えてくる。

弥勒三尊像は本堂(弥勒堂)安置。正月(1~3日)、5月の花まつり、11月のほていまつりに開扉される。
私が行った11月3日は毎年ほていまつりが行われ、本堂のほか庭園も公開され、また本堂裏の広場では大道芸、キッチンカー、屋台、出店などが出て賑わいをみせていた。なお、おまつり自体は11月3日限りだが、本堂開扉はその日からおよそ1週間行われた。

弥勒寺ホームページ


拝観料
ほていまつりなどの特別拝観の日は無料。その他の日は、複数人であれば事前連絡で拝観可らしい(有料)。


お寺や仏像のいわれなど
天台宗寺院。円教寺を開いた性空上人が草庵を設けて隠棲したのが始まりで、西暦1000年のことと伝える。本尊の弥勒三尊像はお寺が開かれた当初、すなわち平安時代中期の作として重要な作例である。
本堂(弥勒堂)は1380年に赤松義則が再建したもので、規模こそ大きくはないが、天井のしつらえなど贅沢で華やかなつくりが目をひく。


拝観の環境
堂内で間近から拝観できる。正面、側面を見ることができる。


仏像の印象
弥勒三尊像は、中尊は約90センチの坐像、脇侍は約110センチの立像である。ヒノキの一木造で、中尊は背中からくりがあるが、脇侍は内ぐりはない。

中尊の弥勒仏像は、頭部を大きくつくり、胴体はどちらかといえば細身で、脚部の高さも控えめである。上半身はなで肩。
目は半眼とし、切れ長で目尻を上げる。目尻に向けて弧を描く眉のラインが美しい。鼻筋は通り、口もとは引き締める。目鼻口は中央に集まり、やや癖のある風貌を形づくる。口はやや正中を外す。肉髻は自然な立ち上がりで、螺髪の粒は大きめである。
衣は、右の腋の下からカーブを描き左肩に至るラインが美しく、それによって右胸を大きく見せる。衣の線は自然な流れである。

脇侍像は、中尊像と共通する少しクセのある顔立ちをしている。なで肩で、プロポーションがよい。素朴な冠をつけ、高く結ったまげが冠の上部から見えている。裙のひだは浅めに彫られている。
両脇侍はほぼ相称形であるが、向かって右側の像の方が体の微妙な前後左右の動きがより巧みにとらえられているように思う。とても美しい造形である。


中尊の銘文について
中尊の背ぐりの中に銘文があり、本像の造立について重要は情報が得られる。
まず、長保元年(999年)の年が書かれる。性空上人が弥勒寺を開いたとされるのが1000年なので、本像はその創建に当たって造立され、以来の本寺の本尊としてまつられてきた像と考えられる。また、「行事」(担当者の意味であろう)として但馬介源正胤の名が記されるが、残念ながらこの人物については不詳。続いて弥勒の救いを願う言葉が書かれており、当初より弥勒仏として造像されたと確認できる。
これに続いて僧俗数十名の名前が記される。清原、土師、大中臣、安部などの氏族の名前が見え、また「〇氏子」「〇〇丸」のような記載もある。これらは造像にあたり血縁した人たちであろう。非常に多くの人々の合力のもとにつくられたことがわかる。
銘のほとんどが当初のものだが、永治元年(1141年)の年も書かれていて、修理銘が創建時の銘に強引に割り込むように書かれている部分がある。また意味不明の針書きもある。


その他
本像とよく似る像としてしばしばあげられるのが、円教寺常行堂の阿弥陀如来像である。もっともこちらの像は丈六像でスケールは全然違うのだが、顔立ちの特徴や全体の雰囲気が確かに近似する。円教寺と弥勒寺はどちらも性空上人が創建した寺であり、かつ両像の像内銘の中に「僧聖静」「僧睿慶」「清原是延」の名前が共通してあることから、同一の造像環境にあったことが想定される。
円教寺常行堂本尊は、円教寺に残る史料から性空の弟子の安鎮がつくったことがわかるが、弥勒寺の弥勒仏の結縁者の中にも「僧安鎮」の名がある(背板裏面に名前が書き連ねられた中の先頭に、比較的大きな文字で書かれている)。このことから、弥勒寺像の作者も安鎮と推測することができそうである。


さらに知りたい時は…
『ひょうごの仏像探訪』、神戸佳文、神戸新聞総合出版センター、2023年

『新テレビ見仏記10 播州姫路編』(DVD作品)、関西テレビ放送、2014年

『十世紀の仏像』(『日本の美術』479)、伊東史朗、至文堂、2006年4月
『月刊文化財』417号、1998年6月
『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 造像銘記篇』5、中央公論美術出版、1970年

 


仏像探訪記/兵庫県