松尾寺の阿弥陀如来像
春、秋それぞれ約2ヶ月間宝物館開館
住所
舞鶴市松尾532
訪問日
2018年4月7日
この仏像の姿は(外部リンク)
拝観までの道
松尾寺(まつのおでら)は、東舞鶴駅より小浜線で1駅、松尾寺駅で下車。
寺名と駅名が同じであるが、だからといって寺の門前に駅があるというわけではない。松尾寺は舞鶴市と福井県の高浜町の境である青葉山の山腹にあり、駅からは徒歩50分くらいかかる。
駅前に松尾寺の方向を指し示す矢印があるので、それに従い線路をくぐって北側に出て、東へと道をたどり、途中から近畿自然歩道の舗装されていない道を少し歩いて、京都府道(564号)に出たら北へと向かう(舗装されていない道を避けたければ、駅の南側の国道(27号、丹後街道)から府道に入ればよい)。
府道はSの字を描いて上っていく。その最初の曲がり角で、ふたたび舗装されていない自然歩道が現れる。この道を行けばショートカットできるが、雨の日のあとであれば道はぬかるんでおり、倒木があったり、イノシシが出たりするので、府道を歩くのがお勧めである。
仁王門をくぐって石段をのぼった先に本堂がある。本尊は秘仏の馬頭観音像。
本堂の下、仁王門の脇に宝物殿があり、春秋に公開されている。2018年の場合、春の公開は3月18日~5月20日のおよそ2ヶ月間で、期間を前期、後期にわけ、仏画は展示を替える。彫刻については全期間展示されるのが通例のようだ。(秋は9月下旬から11月下旬の約2ヶ月)
拝観料
宝物殿入館は800円
お寺や仏像のいわれなど
西国三十三所の29番目の札所である。
創建は8世紀初頭、大陸から渡ってきた威光上人という方によって開かれたと伝える。
平安時代末期から鎌倉時代にかけ、丹後地方は皇室とつながりがあったようで、本寺に伝来している仏像、仏画もそうした関係ではないかと考えられている。
それらは東京や奈良の国立博物館で寄託されていたが、2008年、松尾寺開創1300年を記念して宝物殿がつくられたことで寺に戻り、春秋の時期限定ではあるが、本来の地で拝観できるようになった。
拝観の環境
快慶作の阿弥陀如来像はケース内の安置でないので、ガラス越しでなく拝観できるのはとてもうれしい。
仏像の印象
阿弥陀如来像は像高約90センチの坐像。ヒノキの寄木造で、玉眼を入れる。頭と体の部分は左右2材で正中線で合わせているという。
後頭部の内側にアン阿弥陀仏とだけ墨書されている。これは快慶が法橋となる前の署名、すなわち1203年以前であることを示し、その清新な作風からも快慶の前期の作と知られる。
松尾寺本堂の本尊厨子に向かって左側の脇壇に安置されていたものだそうだ。
なんと若々しい雰囲気の仏像であろうか。目は比較的見開きを大きくし、鼻筋はよく通る。ほおや上半身は張りがあって、豊かである。螺髪は粒がよく揃い、肉髻はやや低め。
座り姿はゆったりとして、手の構えも自然である(ただし手先は後補)。
衣のひだはしっかりと刻みだされる。
余計な装飾的な技巧は一切なく、生々しすぎず、それでいて実在感に富んでいる。
その他の仏像について
仁王像は近年の修理のよって、江戸時代の後補の彩色が取り除かれ、面目を一新した。
像高は約230センチで、あまり腰をひねらず、顔つきも誇張をさけて、安定した姿である。下肢の衣も、風で両足の間を強く斜め後ろへとなびくが、ひだはにぎやかには刻まない。鎌倉時代の作である。
ケース内には天王像、十一面観音像、地蔵菩薩像が安置される。
天王像は、頭部が失われているのは残念だが、平安後期の像で、近年の本堂修理の際に発見された像という。
十一面観音像は2躰あり、1躰は立像、もう1躰は坐像。小像ながら存在感を示す。ともに境内の鎮守社にまつられていたものらしい。
地蔵菩薩像はもと本堂の本尊厨子に向かって右側に安置されていたもので、かつて存在した地蔵堂の本尊と思われる。像高は約80センチの坐像で、左足を前にはずして座る。すっきりとした顔立ちとにぎやかな衣の対象の妙がある。鎌倉時代の像。
さらに知りたい時は…
『特別展 快慶』(展覧会図録)、奈良国立博物館ほか、2017年
『開山千三百年 西国第二十九番札所 松尾寺』、青葉山松尾寺、2008年
『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』2、中央公論美術出版、2004年