岩船寺の阿弥陀如来像
貴重な10世紀半ばの基準作
住所
木津川市加茂町岩船上ノ門43
訪問日
2012年1月8日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
JR関西線の加茂駅から木津川市コミュニティバス当尾線で「岩船寺」下車、すぐ。
JR、または近鉄の奈良駅から行く場合は、奈良交通バス浄瑠璃寺行きに乗車し、終点で上記のコミュニティバス当尾線の加茂駅行きに乗り替える。両バス路線はこの乗り替えを考えて時刻表を組んでいるようで、便利である。
拝観料
300円
お寺のいわれなど
岩船寺(がんせんじ)は、京都府南部といっても奈良県との境に近い場所にある。
岩船寺の創建の事情等は、近世の寺史が伝来している程度で、正確なところはよくわからない。近隣の随願寺(廃寺)や浄瑠璃寺とともに、町の中の大寺院のあり方にあきたらなかった「聖」とよばれる僧らによって維持、発展をしていったお寺であることは確かなようである。
浄瑠璃寺には「浄瑠璃寺流記事」(浄瑠璃寺流記」)というまとまった史料が伝来し、その沿革がある程度わかっているのに対して、岩船寺については、近隣の石仏の銘文にその名が出てくるのが寺名の初出である。(寺の西南にある不動明王磨崖仏の銘文に鎌倉後期の1287年の年と、岩船寺の僧が造立したことが刻まれている。また、その表情の豊かさからこの地区の石仏(当尾の石仏)の中で最も人気のある「笑い仏」にも、1299年の年と願主が岩船寺僧であることが記されている。)
このころ岩船寺は、近くの随願寺(東小田原寺)と密接な関係を持ちつつ、修験道に通じる僧たちの活躍の場であり、また興福寺大乗院とのつながりも深かった。
随願寺がほどなくして衰え、最後には廃寺になる運命をたどるのとは対照的に、境内の三重塔が室町時代中期の1442年に造られていることからも、中世の岩船寺は寺運盛んであったことがわかる。
なお、岩船寺という名前は、寺の前にある岩風呂(修行僧が足を洗うなど身を浄めるために使った)にあるという。
現在は、浄瑠璃寺とともに西大寺流の真言律宗寺院である。
拝観の環境
本尊の阿弥陀如来像は堂々たる丈六像で、本堂中央に座す。
外陣からの拝観で、やや距離があるが、照明もあり、よく拝観できる。斜めや左右からも見える。
仏像の印象
像高は280センチを越える。樹種はケヤキ。
これほどの大きさの像が一木造であることにまず驚かされる。
顔つきは重厚で、やや親しみにくい。螺髪の粒は大きく、唇は小さめながらなかなか力強く彫られている。
だが、長く見ていると、落ち着いた雰囲気の像であると感じられてくる。伏し目がちで、肩は広く、膝もしっかりと張って、安定感がある。姿勢もよい。
衣は平安時代前半の彫刻にしては浅い襞であるが、ていねいに彫刻された岩の仏像のようで、美しい。
内ぐりされた像内に銘文がある。造像年が書かれていて、946年を示す。
銘文は20世紀初頭の調査時に見つかったものだが、写真も残されていず、調査記録にあるばかりで、その後これを見た者はいない。従って、その記録が正しければという留保付きではあるが、この時期の仏像で銘文を備えたものは少ないので、極めて貴重である。
それ以外の書かれている文字のほとんどが梵字で、開眼供養の際に行われた修法の真言を書き付けたものかと思われる。宗教史上も重要な史料といえる。
その他1(本堂内のその他の仏像)
本尊に向って左後ろの厨子中に安置される普賢菩薩像は、平安時代後期の作。像高は約40センチ。細身で上半身が長い。象に乗って合掌する姿だが、象は後補。
南北朝時代頃の美しい厨子の中に安置され、明るくライトを当ててくださっているので、よく拝観ができる。
本尊のまわりを囲む四天王像は像高160センチあまり。ヒノキの寄木造。
東大寺大仏殿様の姿の四天王であるが、やや安定感に欠けるきらいがある。
多聞天像の框裏に、鎌倉後期の1293年の銘がある。
なお、本尊の裏側にも仏像が安置されているが、その中に室町時代ころの来迎印の阿弥陀如来像があり、その周囲にも大仏殿様の四天王の小像が置かれている。
その他2(境内の石仏)
岩船寺の僧が造立したことがわかる石仏がこの地域にあることは上に述べた通りであるが、岩船寺の境内にもすぐれた石仏や石造建造物がいくつも残されている。
拝観入口前にある地蔵石龕仏、境内に入って左側の五輪塔、十三重石塔、地蔵石仏、石室不動明王像、三重塔脇の五輪塔など、いずれも中世の作である。
さらに知りたい時は…
『南山城の古寺巡礼』(展覧会図録)、京都国立博物館ほか、2014年
『京都南山城の仏たち 古寺巡礼』、京都南山城古寺の会、2014年
『浄瑠璃寺・岩船寺』(『週刊古寺をゆく』17)、小学館、2001年6月
『浄瑠璃寺と南山城の寺』(『日本の古寺美術』18)、肥田路美、保育社、1987年
『大和古寺大観』7、岩波書店、1978年
『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 造像銘記篇』1、中央公論美術出版、1966年